狭山事件: 洋裁生殺し事件 その3

北海道新聞 昭和37年11月22日付北海道新聞 昭和37年11月22日付

すいませんまた間が空きました。

」の概要ならびに狭山事件との関連性については、以下の記事も参照してください。

  1. 洋裁生殺し その1
  2. 洋裁生殺し その2

今回の画像は、事件が起こった地元の北海道新聞で、犯人が妻と心中した直後に出た記事です。

  • ふとんの下から便せん二枚に書きつづった遺書が発見された。
  • 遺書には、「ある人に頼まれ()を呼び出した。このうえは一日も早く()を帰したい」という文面に妻△△さんの添え書き(下記参照)があった。
  • (犯人)の家庭は被害者、××さん宅から二十メートルほどしか離れておらず、××さん方の家庭の事情や土地がらにくわしい。
  • (犯人)が同部落の娘さんと恋愛関係でいざこざを起こした時××さんの両親が仲にはいって話をしたことがあり、同家に個人的なうらみがあった。
  • (被害者)さんが誘かいされた十四日の午前(犯人)がバイクで静内町内を下見しているようすがあった。
  • 同事件特捜本部では最初から(犯人)の身辺を捜査していた。

今日の記事にはありませんが、当日犯人が被害者らしき女性を後ろに乗せてバイクで走っているところを目撃されていたという記事もあり、当初からかなり濃い容疑をかけられていたようです。

遺書に「ある人に頼まれ」となっているところはちょっと興味をひきます。被害者と顔見知りで、あからさまに怪しい行動をとりまくったあげくに自殺(心中)したということで、狭山事件でいえばOG的な立場で利用されたのではないかという推測も可能ではないかと思います。また、狭山事件の真犯人がこの事件をヒントにOGを利用することを思いついたというのも、事実として成立するかどうかは別としてストーリーとしては面白い話になりそうです。

もう一つ、狭山事件とは関係ありませんが、この事件で興味深いのは犯人と心中した妻の存在です。

  • (犯人)と死の道を選んだ妻の△△さんはことし五月十三日隣部落の新冠町万世の農家からとついだばかりでしかも身重のからだだった。(犯人)の遺書に書き添えられていた「死ぬのは私の考えだ。(犯人)さんにせがまれて死ぬのではない」という女文字が検死の係り官の涙をさそっていた。
  • △△さんは昨年一月から三月末まで被害者××さんと二人で静内町緑町のアパートのへやを借りて自炊し、洋裁学校に通っていたこともあり、××さんとは幼なじみで大の仲よしだった。
  • ××さんの母親は「気だてのよい娘さんだった。△△さんは(犯人)がこの事件を起こしたことをきっと登別で知らされたのでしょう。もし死んでいるとしたら(被害者)もかわいそうだが、△△さんもかわいそうでならない」と声をつまらせていた

犯人が被害者と幼なじみで、妻も被害者と幼なじみ(と書いてありますが、隣町に住んでいたとのことでどの程度の「幼なじみ」なのかはちょっと疑問も残ります)ということになると、犯人と妻も幼なじみということになるかと思います。上の方にある「同部落の娘さんと恋愛関係でいざこざ」というのは、他の記事を参照すると、同じ部落の女性(被害者とも妻とも別の女性)とつきあって妊娠させてしまったのを被害者の両親が間に入って示談でまとめたということのようです。バイクを乗り回し、同じ部落の女性を妊娠させた男……当時としてはかなりブッ飛んだ男で地元でも有名だったのではないかと思います。そんな男と結婚して、子供も身ごもっている状態で、自分の友だちの失踪に関わっていると告白した男と心中するという、この妻の行動にもかなり興味をひかれるところです。「これで彼は私のモノよ!」みたいな心理だったんでしょうか。

狭山事件に関する本はこちら

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