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1月28日(木)22:00より、NHK BSプレミアムにてシリーズ・Jミステリーはここから始まった! 第2回「横溝正史“八つ墓村”」という番組が放映されます。
番組の中で、「八つ墓村」と津山事件の関係について触れる予定とのことで、多少の資料提供(津山事件報告書)をさせていただきました。どの程度まで津山事件の話が出るかはわかりませんが、もしよろしければご覧ください。「村人32人が殺された『津山事件』」という記述がかなり不安を呼び起こしますけれど……
本ブログでとりあげている事件に関する同人誌等の通信販売を行っています。詳細はこちらをご参照ください。
●どこから事件を知ったのかについて
この放映のことは初めて知りました。横溝正史と「八つ墓村」の関係についてはいろいろと書きたいことがあります。正史は戦後になるまで「津山事件」について知らなかったと語っていますが、当時、事件当時、療養先の長野県でも「信濃毎日新聞」が「精神病者の犯罪」と事件を報道しているのを確認しています。他の地方紙も一応は報じていたと思います。結果的に本人が見落としましたということかと思います。
また横溝は戦後、岡山県で講演をした時に岡山県の警察官から事件について初めて聞いたと「真説金田一耕助」などでハッキリ語っていますが、息子の横溝亮一は漫画「八つ墓村」に寄せた文章などで、戦中戦後と疎開していた岡山県の村で、親しくしていた加藤さんから聞いたと語り、わざわざ加藤さんの語り口を「今も忘れられない」と強調しています。「津山事件」が「オドロキ桃の木二十世紀」で取り上げられた時も、息子の亮一の話を受けてと思いますが、現地の人から聞いたということになっていました。ところが「横溝正史研究」(この雑誌は玉石混交の文章の寄せ集めであまり好きではありません))でインタビューを受けた際は、「それも加藤さんから聞いた話かもしれませんね」と曖昧な意味に変わっています。私はこの本に手紙を書き、「以前語っていたことと違うので確認してみてはいかがか」と伝えましたが返事もなく特に誌上でフォローもされませんでした。高齢のため、忘れたという説明もできますが、「今も忘れられない」記憶が簡単に忘れてしまうものなのかと思います。テレビ放映を前に、何かの参考になればと記す次第です。
亀レスですいません。情報ありがとうございます。
横溝正史がいつ、どのようにして津山事件を知ったのかについては、「戦後、岡山市内で開かれていた『防犯展』で、睦雄の犯行時の服装を再現したものを見て知った」という説も読んだ記憶があります(すいませんどこで読んだのか忘れました)。ご教示いただいた説も含めてどれが正しいのか……今となっては確定することは難しいのでしょうね。
お返事いただきありがとうございます。きちんとしたかたちで返信を書きたかったため遅くなりました。「防犯展」の件ですが、横溝正史の書いていることは最初から最後まで基本的にはぶれていません。
1.戦後になるまで「津山事件」については全く知らなかった。(先回書いた通り、当時、療養先の長野県でも新聞報道がなされたが見落としたと思われる。)
2.岡山県に疎開していた時、昭和二十二年の秋か翌年春に地元新聞の主催で県警の刑事部長と対談して、その時に「津山事件」について初めて聞かされた。横溝は新聞で報道されていたことを知らず、「なぜそんな大事件が報道されなかったのか?」と尋ねたところ、刑事部長は、「戦時中のために一切報道が禁止された」と語った。
3.その直後、岡山県のデパートで開催された「防犯展覧会」に招待された際に、「津山事件」の凄惨な現場写真を見て大きな衝撃を受けた。「八つ墓村」を執筆する際に、導入部にその事件を取り入れた。
4.「八つ墓村」を執筆する際には、小説の舞台となる村をイメージするために、どこかかっこうの村はないかと考えて、疎開先の集落で知り合った友人で、「獄門島」の際にも協力して貰った加藤一(ひとし)にイメージにぴったりの村を探してもらった。そこは鍾乳洞のある村で、加藤の語るその村のイメージを、「八つ墓村」のイメージにした。この村は「津山事件」とは関係ない。(自伝「真説金田一耕助」、小林信彦との対談「横溝正史読本」ほか)
したがって防犯展覧会のことも横溝が語ったことです。
横溝本人がそう明記しているにも関わらず、一方では、「疎開先の集落の加藤一から津山事件について初めて聞かされた」という「経緯」が独り歩きしてテレビ番組やムック本に登場しているため、テレビ放送を機会に改めて「八つ墓村」と「津山事件」の関係について投稿させていただいた次第です。横溝は「八つ墓村」執筆に際して加藤に協力して貰ったとハッキリ書いているので、「津山事件」について加藤から初めて聞いたのならそう書くはずだろうと思います。個人的には息子の亮一が記憶しているのは、執筆に協力して貰った時に「津山事件」の話が出て、加藤も話は聞いていたので新聞記事で報道されていたことについて紹介し、それを息子の亮一が記憶していたのではないかと思います。
「津山事件」が報道されなかったという「伝説」は横溝が周囲に語り、それを中島河太郎が講談社の「横溝正史全集」の解説で鵜呑みにして書いたことから広まったのではないかと思いますので、横溝の「八つ墓村」が「津山事件」研究に与えた影響は非常に大きかったと考えています。
本件、新しい記事としてアップさせていただきました。情報提供ありがとうございます。