下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その5

『葬られた夏 追跡 下山事件』『葬られた夏 追跡 下山事件』

「諸永氏のレトリック」最終回です。ネタとしてはまだまだありますけど、キリがないし個人攻撃をしているように取られるのもイヤなので、この辺でいったん終了とさせていただきます。

本題に入って今回引用した画像についてですが、まず、そもそもの問題として、どうして「東大教室の主任教授だった古畑」が色素の鑑定を担当したことになっちゃうんでしょうか。東大裁判化学教室や秋谷教授はどこに行っちゃったんでしょうか。その前のページ(133ページ)にも「この油について東大法医学教室が調べたところ、機関車や貨車に使われる鉱物油ではなく、最終的に米ぬか油だとわかった」となっていますが、医学部に所属する法医学教室が、なんで死体じゃなくて油の分析や鑑定をやらなきゃいかんのでしょうか。133ページの最初にはちゃんと「警視庁から東大裁判化学教室に持ち込まれた下山の衣類には」云々とあるんですが、どっかで法医学教室と裁判化学教室が入れ替わってしまったようです。

それはまあ揚げ足取りとして、この部分で一番問題なのは、「『文藝春秋』一九七三年八月号」という引用元の示し方です。

以前のエントリでも見たように、文藝春秋の1973年8月号とは、いわゆる「文春」のことを指しています。そこに記述された内容に疑問点が多いことも、既に論じたとおりです。にもかかわらず、あたかもそれが客観的な、「事実」を報道した記事であるかのように引用するやり方は、あまりフェアとは言えないと考えます。

さらに、ここで引用した文章を読んだ人は、「油と同じように、下山さんが轢断される前…」という「古畑教授」発言が「文春秋谷鑑定」に掲載されていると思うのではないでしょうか?そして、「東大教授のコメント付きの記事なら、真実に違いない」という印象を受けるのではないかと思います。しかし、実際にはそのような発言は「文春秋谷鑑定」には出てきません。「文春秋谷鑑定」の地の文にそのような推測は出てきますが、それは百歩譲っても「文春秋谷鑑定」を書いた「秋谷教授」(を騙る誰か)の言葉であって、少なくとも「東大法医学教室の主任教授だった古畑」の発言ではないでしょう(笑)。 いずれにしても、著書において著者が地の文で語った内容を、あたかも実際に発言したコメント内容のように記載する(しかもその発言主を間違える)というのは、諸永氏がノンフィクションやジャーナリズムを目指すのであればやってはいけない行為だと考えます。無意識でそれをしているのであれば「ジャーナリストに向いていない」としか言いようがありませんし、意識してやっているのであれば「読者をナメるのもいい加減にしろ」としか申し上げようがありません。

前回のエントリにも見られたように、既に書籍等に掲載されている情報をあたかも本人が直接しゃべったように書いてしまうというのは諸永氏の悪いクセの一つだと思います。この本(『葬られた夏』)の中核をなす元GHQ関係者へのインタビューも、実際に本人に会って聞いたものではなく、既に出版された書籍の内容などから構成したものではないか?という疑いがますます強くなります。

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