狭山事件: A先生について

被害者の中学時代の担任で、佐野屋での身代金受渡にも立ち会ったA先生は、事件が起きてからかなり後(1970年代)までマスコミや野間宏さんの取材に応じていました。しかし、現在は伊吹さんが電話をしてもまったく取り合っていただけない状況です。私(本ブログ管理人)も一度お電話したことがありますが、奥様らしき方が出られて「そういうお話は全てお断りしています」と言われました。

その理由について、伊吹隼人さんより「1980年代半ば頃に批判的にマスコミに取り上げられたことが原因ではないか」との情報をいただきました。本日の画像はその記事です。

上記引用はすべて週刊新潮1985年3月21日号です。

この記事でのA先生は、日教組系教員のいいなりになっているダメ校長という、かなりひどい書かれ方をしています。この記事がマスコミ不信・取材拒否のきっかけになったのではないかという伊吹さんの説にも頷けるものがあります。

個人的には、この記事もさることながら、昔日は暴力教師として生徒を支配下に置いていたA先生が、日教組系教師の突き上げでその傀儡とならざるを得なくなったことで変に屈折してしまったのではないかなあ、という気もします。
今の人がこの記事を読むと、こんな風に教師が成績を改竄したり、生徒が合格した高校に押しかけて合格を取り消させようとするなんて本当にあるの?と思うのではないでしょうか。しかし、日教組系教師が支配する学校(私が通っていた中学もそうでした)というのは、様々な理不尽がまかり通るところでした。この記事に書いてあるのと似たようなことを実際に私(本ブログ管理人)も経験しましたし、記事に書かれていることはおそらく事実だと思います。
そうなると、それを抑えられないことに対するA先生の鬱屈も相当なものであろうと思われ、それで従来は正義感から取材を受けていたA先生が取材拒否に転じてしまったのではないか、というのが私の推測です。


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One thought on “狭山事件: A先生について”

  1. 実はこの事件には続きがあって、このあとA(校長)先生は、問題の3教諭の異動を願い出て、逆に県側へ提訴されてしまったりしているんですよね。

    この事件後のA先生について、元H中同僚の某教諭は、
    「あれからというもの、あの人はすっかり人間嫌いになってしまったようで、〝一匹オオカミ〟的な人になってしまった」
    「同僚の教諭たちともまったく付き合わなくなった」
    「『もう誰も信用できない』『これから俺は俺だけのやり方でやっていく』なんてことも話していた」
    「週刊誌に書かれたことで、さまざまな人からいろんな事を言われ続けたらしくて、以来すっかりマスコミ嫌いになってしまった」
    なんてことも話していました。
    もちろん本人の心の内まで知ることはできないのですが、この事件によってA先生が大きく変わってしまったことだけは、どうやら間違いないようです。

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