狭山事件: 洋裁生殺し事件 その2

朝日新聞昭和37年11月22日付夕刊朝日新聞昭和37年11月22日付夕刊

前回の続報です。東京の新聞ではこのように報道されています。おそらく、甲斐仁志氏はこの新聞を見て狭山事件を推理する―Vの悲劇の中で「狭山事件の犯人はこの洋裁生殺し事件を参考にした」という論を立てたのではないかと思います。しかし、次回以降で見ていきますが、地元の北海道新聞あたりを見ているとこの犯人はもともとほとんど犯人扱いされていて、刑札が「泳がせ」すぎてこのような心中事件に発展したことがわかります。

ただ、犯人が北海道新聞まで見ていた可能性は低いとも考えられます。当時は当然ながらインターネットで地方紙の記事を見るとか、ELNETで新聞記事を検索するとかということはあり得ません。当時でも国会図書館まで行けば読めたでしょうが、そこまで犯人がやったかどうかというと疑問はあります。その意味で、朝日新聞などの東京の新聞で報道された内容で判断すること自体は間違いではないでしょう。しかし、本日掲載した記事の中にもあるように、この犯人は被害者家族と様々な因縁があったために事件発生当初から最有力容疑者としてマークされていました。その中で身代金目的を偽装しながら身代金を取りに来なかったことがどれだけ意味があるかという点には、前回も書いたように疑問を感じざるを得ません。

ちなみに、狭山事件を離れても、この洋裁生殺し事件というのは事件マニアからするとかなり興味深い事件です。

これも次回以降改めて見ていきますが、この犯人はかなり「人間としてどうなのよ」という行動を取っています。以下、今回の記事には載っておらず、次回以降の記事に出てくる情報も入っています。

  1. 犯人は心中した妻と結婚する以前に同じ村の女性と交際して妊娠させてしまったことがあった。その時に被害者の母が間に入って慰謝料を払うことで解決した。
  2. 心中した妻は被害者の幼なじみで、同じ下宿に住んで同じ学校に通っていたこともあった。
  3. 犯人と妻は被害者の両親が仲人になって結婚した。
  4. 妻は、上の朝日新聞の記事では睡眠薬で自殺したことになっているが、後で首を絞めた後が見つかっており、眠っている間に犯人に絞殺された可能性が高い。ただし、妻の自筆の遺書は残っている。
  5. 妻は身重だった。

というわけで、自分の不始末を収拾してくれた人(以下Sさんとします)の娘を殺し、なおかつ自分が死ぬにあたって何の罪もない新婚で身重の妻(しかも仲人はSさん夫妻)まで道連れにしたという形になっています。新聞では上記1.の際に犯人がSさんに対して逆恨みの感情を持ったのではないかとか、その経緯が妻にバレそうになったのを被害者に説明してもらおうとして拒否されて殺したとかいう推理がありますが、いずれも殺人を犯す動機としては弱いような気がします。そもそも、犯人と被害者が幼なじみで、妻も被害者と幼なじみである以上、どう考えても犯人の行状は妻もある程度知っていたと思われ、それがバレたからと言って被害者の助けが必要とも思えません。

今日引用した記事では他人に頼まれて被害者を呼び出したような書き方になっていますが、刑札の捜査の結果この男の単独犯行と断定されています。

この男は、何をどう考えて行動していたのでしょうか。

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