狭山事件: 『現地からの報告』 その3

前回の続きです。遅くなって申し訳ないです。

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いくつか検討事項を挙げましたが、とりあえず今回は教室と自転車置き場の位置関係について。

上の記事への伊吹隼人さんのコメントで、自転車置場は南側、別科一年生が使っていた教室は三年あるいは四年教室という、風来坊さんのコメントの説を支持するという話をいただきました。確かに、そう考えるとすべて納得できます。

校舎見取図

正門が図の左上にあり、自転車置き場が下(南側)にあったとすると、被害者が「自転車を転がして」出て行く際には赤の矢印で示した経路を通ったものと思われます。そうすると、

教室の窓の外を通った時、窓越しに誰かと話をしていた。

というのは、別科1年生は見取図の三年教室あるいは四年教室を使っていたということを示していることになるでしょう。

この説は、分校旧校舎の写真からも裏付けられます。

BunkouKyuukousha
分校旧校舎(木造)

この写真は、明らかに南側から撮影したものです。なぜなら、分校校舎は北側に向かって急に下がっている斜面(崖に近い傾斜です)に建っているため、この角度の写真を北側から撮影することはほぼ不可能だからです。この写真に、旧校舎見取図の宿直室等の出っ張り部分が写っていない以上、上で引用した見取図は上が北側であり、正門も左上方向にあるものと推定せざるをえません。

従って、事件当日に被害者が「自転車を転がして」いるところを(2回)目撃されたのは、校舎の南側にあった自転車置場から自転車を出そうとしているときで、それを目撃したクラスメートは3年あるいは4年教室の中にいたものと考えられます。


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3 件のコメント: “狭山事件: 『現地からの報告』 その3”

  1. 管理人さんは上図の中で「正門は割烹室と女子便所間の正面にあったのでは・・・?」と推理していらっしゃいますが、失礼ながらこれには同意できません。「正門を入るとすぐ左が女子便所」というのは普通に考えてもまず有り得ないと思います。
    そうではなく、「正門を入ってすぐ左が使丁室」ということなら、構造としてもごく自然ですし(事件当日の長兄氏の証言とも一致します)、これは素直に「玄関正面」にあった、とみてよいのではないでしょうか?
    問題は「自転車置き場」から「正門」までの動線ですが、私は図面では省略されているものの、「四年教室」と「洋裁室」間に通路が存在したのではないか、と考えています。図面の中でカタカナの「ツ」は「渡り廊下」となっていますが、校舎は平屋だった訳ですし、教室の外が渡り廊下、というのは普通有り得ないはずです(=教室の外に「渡り廊下」を造っても意味がありません)。これは、実際にはもう少し「洋裁室」寄りにあって、自転車置き場からはすぐここを通り抜け、「玄関脇―正門」に出られるようになっていたのではないでしょうか?この「四年教室」が「別科一年教室」として使用されていたとすれば、ここを通り抜けて行く際に被害者が同級生から声を掛けられた、と考えることも出来るでしょう。図に示されていない以上、これも単なる仮説でしかないのですが、そう考えればすべての辻褄がきちんと合ってくるような気がします。

  2. なるほど。正門位置に関しては確かにそうですね。

    ただ、四年教室と洋裁室の間に通路は必要ないのではないかと思います。便所や割烹室を水回りの配管やニオイの問題で別棟にするならともかく、単なる教室が入った建物を分割するのはコストがムダにかかりすぎると思うからです。そもそも、個人的な経験で、学校の建物を設計する際に生徒の動線というのは最も虐げられる部分ではないかと思っています。
    単純に、生徒にぐるぐるっと校舎を迂回して裏側の自転車置き場に行かせるような設計だったのではないでしょうか。

    生徒昇降口はこの図面では省略されています。ということは、おそらく和裁室の左下とか一年教室の右下あたりにあって、徒歩通学や電車で入間市駅から来る生徒は遠回りを余儀なくされていたのではないかと思います。生徒昇降口がこの図面に書けないような変な位置にあることからも、校舎の設計に際して生徒の利便性はあまり考慮されていなかったのではないかと思います。

    感じとしてはこういう風になるでしょうか。
    校舎見取図

  3. う~ん、難しいところですねえ。。
    当時の図面に何も記載されていない以上、はっきりしたことはどうやっても分かりませんし。
    ただ、私はどうしても(ツ)の「渡り廊下」が引っ掛かるんですよね・・・。
    「教室の前が渡り廊下」というのはどう考えてもワケワカですし、これが「正門と自転車置き場を繋ぐ通路」ということなら逆に全て納得いくわけで。

    あと、「建物を分割する」のは確かにコストがかりますが、当時の正門側からの分校写真を見ると、使丁室に繋がる左側の建物と右側の建物では屋根の高さが違いますし、この校舎については「全部ひと続きの建物ではなかった」可能性も十分ありそうです。もっとも、私の説で「洋裁室と四年教室の間に通路があった」と仮定すると、今度は「玄関」「洋裁室」だけが独立した建物、ということになってしまって、また別の意味での無理が出てきてしまうのですが。

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