29日の現地調査は、多数の方々にご参加いただいて無事終了しました。ご参加いただいた方々ならびに伊吹さん、ありがとうございました。
私は途中で失礼してしまったので確認しなかったのですが、伊吹さんによると、旧川越高校入間川分校跡地(狭山市医師会立準看護学校跡地)が整地されて建物が跡形もなくなっていたとのことです。当然ながら、唯一当時のものが(移設されたものの)残っていた石造りの正門門柱も撤去されていたそうです。
荒神さま(三柱神社)ももう風前の灯火ですし、伊吹さんによれば第二ガードを通る二車線道路の建造計画も進んでいるとのことで、狭山市駅周辺で事件当時の面影を残す場所はほとんど無くなってしまうことになりそうです。
こうなると、もう現地に行っても当時の写真や地図と照らし合わせないと何もわからないという状態ですね。事件からもう50年以上が経過し、それもやむを得ないというところなのでしょうか。一抹の寂しさを感じます。
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本日、狭山市役所に電話して、
①分校跡は今後どうなる予定なのか
②撤去された門柱は今どこにあるのか
の2点について問い合わせてみました。
この件に関しての担当者からの回答(概略)は、それぞれ以下の通りでした。
狭山市役所からの回答「公民館・分校・武道館跡地のいずれも市の所有している土地で、使用停止となっている武道館も間もなく取り壊される予定である。とりあえず全部を更地にはするが、今後どのような施設を造るかについては、まだ計画すら立っていない状況だ。なので、おそらく当分はあのままということになるかと思う。門柱に関しては、こちらでも歴史的な価値があると思ったので、市の博物館担当者に「保存できないか」と話を持ち掛け、実際現地にも来て貰っている。しかし、先方からは「ちゃんと校名などが入っていれば別だが、ただ当時の門柱である、というだけでは保存するに価しない」との回答があったので、結局は廃棄処分とした。今どうなっているかは全く分からない。知りたいのならば、工事を請け負った業者に直接問い合わせてみてほしい」
工事を請け負った業者の話「門柱については、市からの依頼書でも撤去項目に入っていたので、保存はありえなかった。かなり大きく、重量もあるものなので、こちらでも処分に困ったというか、作業が大変だった。結局最後は砕いて廃棄処分にしてしまっている。おそらくは、もう2本とも形も何も残っていないと思う」