狭山事件: 『現地インタビュー集』について

しばらくリアルの仕事が多忙だったため、更新が滞っていて申し訳ないです。

伊吹さんの『狭山事件 現地インタビュー集』のラストには、『狭山事件を推理する』の著者である甲斐仁志氏の談話をまとめたものが掲載されています。詳細については本をご覧いただくこととして、その中で意外な感じがしたのはA先生に関する記述です。

甲斐氏はA先生に直接取材し、A先生の当時の手帳まで見せてもらってかなり詳しく話を聞いたとのことです。
にもかかわらず、『狭山事件を推理する』においてA先生証言は完全に否定され、

(被害者)との出会いは(引用注、事件当日である5月1日ではなく)4月25日の出来事である可能性が高い

と結論づけられています。

しかし、「4月25日と勘違いしている説」は妥当ではないと考えます。その根拠の一つとしてあげられている

)の証言は事件当時のものではなく、二審の最終段階での供述である

という記述に対しては、既に伊吹氏がインタビューしたY先生の「事件翌日にはA先生は1日に(被害者)に会ったと言っていた」という趣旨の証言もありますし、A先生の証言も詳細にわたっています。

他方で、伊吹さんの取材・インタビューの結果、A先生の証言の特定の部分に対する信憑性に疑問符がついてきていることは、既に何度か本ブログでもご説明しているとおりです。

  • 当日、堀兼中野球部は試合がなかった
  • 少なくとも3年生は、まだ引退前だったにもかかわらずバラバラに試合を見学に行っていた
  • A先生は「厳しい」先生であり、本当に試合があって引率していたのであれば勝手に現地に行くようなことを許すタイプではない

現時点で、少なくともこれらのことはほぼ「事実」として扱ってよいと思います。

正直なところ、伊吹さんの取材で上記のことが確認されるまで、甲斐氏による「A先生証言は信用できない」という結論を私(本ブログ管理人)は軽視していました。今回のコメントで甲斐氏がきちんと調査した結果としてA先生証言否定説にたどりついたことを知り、「やはり狭山事件は一筋縄ではいかないなあ」ということを改めて痛感した次第です。

そうやって考えていく中で残念なのは、以前はマスコミの取材にも対応していた人たちが現在はこぞって取材拒否となっていることです。具体的には長兄、A先生、長姉です。Mくん(PTA会長の息子)も、昔は被害者宅でマスコミの写真撮影に応じていたことを考えると、その中に含めてもいいかもしれません。伊吹さんの本でも「インタビュー拒否」となっている関係者の方が数多くいらっしゃいます。

関係者の高齢化を考慮すると、ここ10数年が狭山事件の真相解明の最後のチャンスでしょう。2010年になって、1938年に起きた津山事件の都井睦雄と関係があったとされる「ゆり子」さん(2010年現在で94歳)のインタビューに石川清さんが成功したように、どこかで大きなブレイクスルーが得られないものかなあ、と思います。

なお、これまでにコメント欄で伊吹氏ならびに私(本ブログ管理人)からもご説明しているとおり、A先生証言の信憑性に疑問符が付いたからといって一足飛びにA先生犯人説は成立しません。その理由は既にしつこいくらいご説明したとおりです。したがって、本エントリにA先生犯人説のコメントをいただいたとしても黙殺させていただきますので、あらかじめご了承ください。

 

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2 thoughts on “狭山事件: 『現地インタビュー集』について”

  1. 甲斐仁志氏は、

    ・「A先生が野球部員を連れて東中にいく途中、「第二ガード」で被害者と出会っていることそのものは事実と考えられるが、それは(事件当日である)5月1日ではなく、4月25日の出来事であった可能性が高い」

    と結論づけており、その根拠として、

    ①(A先生)の証言は事件当時のものではなく、二審の最終段階での供述である。その間に記憶が入れ替わった可能性がある
    ②当時の野球部員たちに聞き取り調査を行っても、「被害者と出会った」と証言する者が現れない

    の2点を挙げています。
    しかし、私も管理人さんと同じく、この結論は妥当ではないと考えています。

    まず①ですが、これははっきり間違いです。
    二審の最終段階(1974年秋)より2年以上前に発売された「狭山事件 第1集」(亀井トム・著)にも記載がありますし、データマンであった荻原佑介氏の聞き取り調査は少なくとも事件から数年内に行われていたはずです。また、管理人さんがお書きになっている通り、A先生は事件翌日には同僚の教師にも被害者との出会いについて語っています。そもそもA先生は、事件発生の翌日朝10時半にPTA会長から事件発生について聞かされているのですから、同時に被害者との出会いを思い出すのが普通であり(「11年後になって、突然思い出した」とする甲斐氏説は不自然過ぎます)、その時点で「昨日」と「1週間前」の出来事を混同すること自体が有り得ない話でしょう。
    ②も「4月25日説」の傍証にはなり得ません。「被害者とガード下で出会ったこと自体は本当だった」のなら、その証言は必ず生徒からも出てくるはずです。

    A先生証言について私は、「当日は試合の予定があった」「野球部員全員と一緒だった」の部分だけが嘘で、被害者との出会いそのものは事実だったと考えています。A先生の証言は詳細かつ具体的ですし、これを事実とすれば被害者の行動や「O少年と被害者の出会い」に関しても、おおよその説明がつくからです。全体を見渡しても、やはり「第二ガード下での待ち合わせ」は、その後の「第一ガード下での待ち合わせ」(主婦Nさん証言による)に直接繋がるY枝さんの前段階での行動、とみるのが一番自然であるような気がします。

  2. A先生の証言にウソが含まれる理由について思ったことがあるんで、書いてよろしいでしょうかね。
    一年前のエントリなので、もう見ておられないかも知れませんけれど。

    「当日は試合の予定があった」「野球部員全員と一緒だった」とA先生が嘘をついた理由について、前のエントリのコメントで色々議論されているんだけど、甲斐氏説のように昨日と1週間前の出来事を混同することなんて考えられませんし、かと言って現役野球部員のアリバイを偽証するためというのも、どうかなと思うんです。

    野球部員のアリバイを偽証するのが目的であれば、その証言は同僚の先生やマスコミではなく警察に対して行わなければ意味が無いはずです。 また、仮にこの証言をA先生が警察に話していれば、野球部員全員が第二ガード下でY枝さんと会っているということになりますから、逆に野球部員全員が聞き取り調査の対象になったんではないでしょうか。 野球部員の誰かが怪しい人影を目撃していたとしても何の不思議もないですからね。 そうなると、ウソは直ぐにバレてしまったはずです。

    本来嘘をつく必要のないはずの同僚の先生に対してA先生が嘘をついたのは、同僚の先生に対して野球部がトーナメントの一回戦で敗退したという事実を隠していたのではないかと思うんです。 つまり、同僚の先生に対して事件当日は試合があると嘘をついていた。 同僚の先生は各々何かしらの運動部の顧問を務めていたはずですし、事件当日はその運動部の試合があったんでしょう。 しかし、A先生の率いる野球部だけは試合がなかった。 これはかなり言い難いことだったんじゃないでしょうか。 当時の野球部は運動部の中でも最も人気のある注目度の高い部活であったことは想像に難くありません。 また、A先生はとてもプライドの高い人物だったように思えます。

    そう考えると、試合前のシートノック中に雨が振って試合が中止になったという部分も納得がいくかなと。 試合前に中止になったことにしないと、「相手の先発は誰でしたか?」とか、「何対何でしたか?」など、試合内容について聞かれる可能性があった訳ですからね。

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