津山事件: 筑波昭氏とのコンタクトに失敗

』を入手して以来、『津山三十人殺し』との差が気になってしょうがないため、筑波昭氏に連絡をとってみました。

周知の事実とは思いますが、筑波昭さんは黒木曜之助という別名義をお持ちで、ノンフィクションは筑波昭、推理小説は黒木曜之助とペンネームを使い分けていらっしゃいます。黒木曜之助名義の連絡先が公開されているので、そちらの方に手紙と電話で連絡をとってみました。

お伺いしたのは、

『津山三十人殺し』には、『津山事件報告書』には記載されていない内容がかなり描写されており、おそらくそれは筑波さんご自身の独自取材に基づくものと思う。その独自取材の概要について、お話しだけでも聞かせて頂けないか。

という内容です。

しかし、手紙のご回答はいただけず、お電話したところ「ちょっと仕事で忙しいので、ご返事できません」とのことでした。

一応、事実のみこの場を借りてご報告させていただきます。

筑波昭さんは昭和3年生まれとのことですので、今年で82歳でいらっしゃると思います。是非とも、後世のためにも「事実」がどうなのか証言して頂けないかと思うのですが、なかなか難しそうです。

津山事件に関する本はこちら

 

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4 thoughts on “津山事件: 筑波昭氏とのコンタクトに失敗”

  1. 初めまして。
    ふとしたご縁で立ち寄りました。
    まずはコメントを一通り拝見させていただきました。

    ・なぜ関係者が真相を隠そうとするのか?
    ・なぜ公が記念施設を作ろうとしないのか?
    ・なぜ町が衰退しようとしているのか?
    ・現在は平成の大合併により現場は津山市だが当時の地名事件名になぜならなかったのか?

    いくら有名なマスコミが名刺を出しても存命する関係者は真実を語る事はないでしょう(笑)
    また興味本位で現地を訪れる事は全くの無意味です(笑)

    失礼な言い回しかとは思いますが、その中で管理人様の見解は『いい線をついてる』と感心いたしました。
    再々拝見させていただきます。頑張って下さい。

  2. 犯人の名前でググった所とんでもないサイトに行き着きました
    この事件はある意味有名で、私も概要は何年も前から知って
    いましたが、顔写真から始まり、まさかここまで突っ込むサイト
    があるのかと感動し何時間もかけて読まさせて貰いましたw
    最近はこういうディープに考察していくサイトが減り残念です
    ぜひ可能な限り、続けてもらいたいものです

  3.  管理人氏の筑波昭氏とのコンタクト失敗は、筑波氏の本が「事実をもとにしたフィクション」であることを証明する重要な事実だと思います。「独自に関係者にインタビューした」「資料を見た」と答える時間もないはずがありません。
     祖母と姉の関係でフィクションと思われるエピソードが多いのは、大胆な推測ですが、筑波氏は松本清張が「闇に駆ける猟銃」で語った「都井の姉はその後死んだ」を鵜呑みにしたからだと思います。祖母も姉も「死んだ」のなら何を書いても「それは嘘だ」と指摘する人もいないと考えて、たいした話しでもないがまあありそうなエピソードをづらづらと書いたのではないでしょうか。
     間接的な証拠があります。都井は二歳の時に父、三歳で母を亡くしています。両親を相次いで亡くしたのなら幼い姉弟に大きなショックを与えたはずなのに、「津山三十人殺し」の中ではこの重大な出来事については当時の新聞にも掲載されていることを簡単に記すのみで、姉弟がどう思ったか、どういう様子だったかについては何も書かれていません。都井の二歳、三歳のくだりでは姉弟とは何の関係ない米騒動や地元の小学校長の陳情について祖母がどうコメントしたのかが詳しく書かれている有様です。なせ゛息子と嫁の死という大事についての祖母のコメントが紹介されていないのでしょうか。要するに姉と祖母だけしか関わっていないエピソードを捏造するなら死人に口なしでどこからも文句は出ないが、親戚一同が集まったであろう両親の死について捏造すれば、存命する関係者からクレームが出ることを恐れたからだと思います。私は「津山三十人殺し」の都井二歳、三歳のくだりはこの本の信頼性を見るうえで重要だと考えています。
     結論です。筑波昭氏は「津山三住人殺し」執筆にあたって、姉が既に死亡していたと思い込んでいたのでインタビューはしていない。(今は管理人氏のブログや石川清氏の著作で長生きしたことを知ったでしょうが・・・)親戚にもインタビューしていない。ほとんど机上で書かれたものである。

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