さて、今回で下山事件関係はいったん一段落としたいと思います。今回の画像は『謀殺 下山事件』からの引用になります。
「文春秋谷鑑定」において「塩基性でしかもベースではない」という摩訶不思議な記述がありました。この記述の元になったと思われるのが今回引用した部分です。
最近ではプリンタの「染料インク」と「顔料インク」の違いなどもあって一般にもなじみ深い用語になっていますが、当時は「染料」と「顔料」の違いは一般人にはあまりなじみがなかったものと思われます。矢田氏が書いている、通産省(当時)有機課長の「染料か顔料かの見分けにはベースのあるなしを調べればよい」という説明は、それ自体は間違いではありません。しかし、この「ベース」は化学の世界で使う「ベース」(=塩基)とは全く意味合いが異なります。
上でリンクした「染料インク」と「顔料インク」の違いを読んでいただくと、「顔料」は表面に広がって色をつける、「染料」は素材の中にまでしみこんで色をつけるという違いがわかると思います。どうしてそうなるかと言うと、「顔料」というのは細かい色の付いた粉末が溶媒(普通の場合だと水)の中に浮遊している状態であって、決して色素が水に溶けているわけではないということです。この、「細かい色の付いた粉末」の「粉末」部分が通産省有機課長が言っている「ベース」の意味です。この「ベース」=「基材」となる「タンニン酸、鉛、銅、タングステン、モリブデン、アルミニュームなど」に「染料」で色をつけることで「顔料」ができあがります。無理矢理短くまとめてしまうと、「ベース」=「基材」「つぶつぶ」に色をつけたものが水の中に分散しているのが顔料、水自体に色がついているのが染料ということです。
おそらく、矢田氏はこの意味で通産省有機課長が説明した「ベース」(=「基材」)を覚えていたのではないでしょうか。それで、「下山色素は塩基性染料だが顔料ではない」という内容を化学的っぽい表現で説明しようとして、「文春秋谷鑑定」に「塩基性でしかもベースではない」と書いてしまったものと思われます。しかし、このように二つのレベルの違う言葉を同列で並べてしまった瞬間に、「ベース」という言葉が化学的意味=「塩基」となってしまって意味不明な語句になってしまっています。「塩基性染料で、しかも顔料のようなベースを持っていない」という表現であれば、まだ意味が通るのですが。
このような粗雑な文章を、少なくとも化学者である秋谷教授が書くはずがないと思うのですが、前回のエントリにも書いたように秋谷教授はこの「文春秋谷鑑定」の内容を事前に知っていてOKを出したと思われるフシがあるので、その辺は正直よくわかりません。しかし、少なくとも化学者が自分で「塩基性でしかもベースではない」という文章は書かないと思います。