津山事件: 都井睦雄の姉のうどん店

都井睦雄の姉が経営していたうどん店都井睦雄の姉が経営していたうどん店

「ダークサイドJAPAN」2001年10月号にあった漠然とした情報を元に、ダメもとでとある場所に行ってみたら、本当に都井睦雄のお姉さんが経営していたといううどん店がありました。お姉さんはおそらく1996~97年頃にお亡くなりになったものと思われます。その直前まで元気にこの食堂を経営していたとのことで、もう少し前にに興味を持って見に行っていれば、と悔やまれます。

「ダークサイドJAPAN」には、隣の家の人の下記のような話が掲載されています。

おばあちゃんが津山事件の犯人の姉だということは、ええ、知っていましたよ。でも、根が明るい人で、ふだんはそういうことを気にしないかのように気さくに明るくふるまっていました。でも、事件の話は全然話さなかったですけどね……

なお、写真を見ていただくとわかるように戸が開いています。写真には写っていませんが(写しませんでしたが)、関係者らしい年配の男性と、その男性の奥様らしい年配の女性、さらにはそのお二人の孫らしき女の子と男の子が中から出てきました。年格好から見て、おそらく男性は睦雄の姉の一人息子(睦雄の甥)ではないかと思います。とすると女の子と男の子は睦雄の姉のひ孫ということになるでしょうか。「睦雄の甥は現在別のところに住んでいる」という情報もあるので、たまたま孫を連れて里帰りしていたところだったのでしょうか。ちなみに、ぱっと見た感じはあまり睦雄に似ている感じではありませんでした。さすがに話しかける勇気はなかったのでお話は聞けませんでした……。

ちなみに、その後店の前に置かれていた自動販売機に商品を補充するお兄さんが来ましたが、こちらは店の方の戸を開けて倉庫代わりに使っていました。
自販機のお兄さん自販機のお兄さん

津山事件に関する過去のエントリはこちら

津山事件に関する本はこちら

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34 thoughts on “津山事件: 都井睦雄の姉のうどん店”

  1. 70年目の新証言は驚きましたが、当時、難を逃れたある程度の方が80歳前後で健在のはずです。ぜひ、証言させてほしい。してほしい。

  2. 先日放映されたスーパーモーニングには、被害者の家族という方が2人証言していましたね。「地元では被害者は36人ということになっている」などの貴重な証言もありましたが、もっと聞いてほしいこと(普段の都井睦雄がどんな感じだったかなど)に突っ込んでくれていない、今ひとつ食い足りない内容でした。

    最近、様々な雑誌で頻繁に地元の取材が入っているようでもあり、TVあたりでないともう地元の方はまともにしゃべってくれないと思います。その意味でもスーパーモーニングの取材班にはもっと頑張ってもらいたかったところです。

  3. スーパーの中で証言しているおじいさん。
    「彼女は被害者ではない、被害を起こす発端を作った張本人だ」。
    この言葉で どうもこの事件は 真相は別のところにあるような気がしてなりません。

    睦雄の愛したこの女性と無理やり引き離した村人たちは発端を作った責任はないのでしょうか?

    すべてを彼女と睦雄になすりつけ、事件の真相を隠しているような気がしますね。

    この事件の真相をすべて知っているのは、悲しみ辛さを背負いながら70年間生き続けてきた
    睦雄の愛した女性だけでしょうね。

  4. > お姉さんはおそらく1996~97年頃にお亡くなりになったものと思われます。
    > その直前まで元気にこの食堂を経営していたとのことで、
    > もう少し前に津山事件に興味を持って見に行っていれば、と悔やまれます。

    あの、この方たちは加害者の姉だったり親戚だったりするわけで、本人の犯罪とは
    一線をひかれてしかるべき人たちなんですが、あなたはもしお姉さんが生きて
    おられたら、話を聞くつもりなんですか?あなたの弟さんの犯罪について聞かせてくださいって。

    あなたは少し感覚がおかしいですよ。家の写真をWebに載せられた方の気持ちは
    考えないんですか?興味があれば何でも取材と称して調べて公にしていいのですか?

    どう考えても感覚がおかしいと思います。

  5. コメントありがとうございます。

    お姉さんがご存命だったら、お話は聞いてみたかったですね。それを公表するかどうかは、ご本人から公開の了承をいただけるかどうかを含めて、また別の問題です。

    本人の犯罪と家族や親戚が無関係というのは当然の話です。しかし(例えば1996年時点で)60年近くも前の話であり、当時どのように感じたかとか、お姉さんから見た弟さんがどのような人だったか等、お話を聞かせていただきたいとお願いすること自体に何か問題があるとも個人的には考えていません。「話したくない」というのを無理にしゃべらせたり、本人の承諾なく公表するのは問題でしょうが。

    家の写真をWebに掲載することについて。この家の写真は既に公刊された雑誌に「姉のうどん店」として掲載されており、その確認という意味で私が撮影した写真を掲載しました。また、元の雑誌では場所がかなり容易に特定できる情報と共に写真が掲載されていましたが、こちらで写真を掲載するにあたっては場所が特定できないよう配慮もしたつもりです。

    繰り返しになりますが、「興味があれば何でも取材と称して調べる」こと自体に問題があるとは個人的に考えていません。しかし、調べた結果を何でも「公にしていい」とは思いませんし、個人や場所が特定できないようにする程度の配慮はしているつもりです。基本的に、この場で書いていることのほとんどは、既に公刊された書籍・新聞・雑誌で書かれていることです。

  6. 津山事件については、昭和初期以前のタブーとなっている山村の風習などを考慮しないと理解しがたいと思います。幼児期に両親を失った秀才の犯人が罪をおかすまでの心の葛藤と考えるか、精神異常者の起こした犯罪か・・・。私は両者がおおきく絡みあったものと考えます。岡山地方裁判所検事局作成の「津山事件報告書」を読むと吐き気がします。

  7. 生きてられる方の情報が載ってるとは驚きました。

    犯人を育てた親でもないのに、載せられた方が可愛そうです。
    このページを目にされたら、どう思うでしょう。

    雑誌が載せていたなら載せて良いのですか?
    ご自分が姉さん、甥、姪の立場だったら、どう思いますか?

  8. >公刊された書籍・新聞・雑誌で書かれている
    ことであれば公開して構わない、というのもどうかと思います。
    たとえば雑誌が許可を得た上での公開であれば、こちらは許可を得ていないわけですし、
    逆に無許可であったとして、刊行物であれば公開範囲は限定的ですし、望めば回収等の
    処分も可能ですが、webには上げた時点で無制限の範囲に公開されてるわけですし。

    まあ場所が特定できるような形で公開している雑誌自体に嫌悪を抱かれなかった時点で
    何を言ったところで無駄だとは思うのですが。

  9. >、当時どのように感じたかとか、お姉さんから見た弟さんがどのような人だったか等、お話を聞かせていただきたいとお願いすること自体に何か問題があるとも個人的には考えていません。

    と自身の考えを正当化されていますが、戦前に起きた事件で且つ凄惨な大量殺人の容疑者の遺族。
    当初は、非常に酷な思いで生きて来られたはずです。決してあっけらかんとして生きれるはずがない。
    数十年経ってやっと表面的には普通に生活出来る様になった所に再び傷口を抉る行為だと思います。

    この事件に興味を持ったと仰っていますので、あなた個人の興味本位の範疇を超えない訳ですよね。

    いきなり訪れた知らない人に興味本位で「どんな気持ちでしたか?」「弟さんはどんな人でしたか?」と
    聞かれていい気持ちになる人なんていませんよ。

    どんな気持ちって聞いて、その人の当時の思い出したくないかもしれないだろう心境を
    数十年もたって悪戯に思い出させるなんて最低。

    あなたの主張している問題無いって行為は、法的にはって事でしょ?
    人としては、大問題な行為ですよ。

    それに、雑誌や新聞のメディアは↑の方が仰る通りに対応可能ですが、
    あなたがWebで不特定多数の人に無期限で公にする行為は問題行動です。

    そもそも、場所等の特定が出来なければ所有者に無許可で載せていいはずがない。
    わかる人にはわかるし。「場所は特定出来ない様にするから載せてもよいか?」と許可も得ていないし。
    無許可で勝手に個人宅を載せる、しかも、事件の犯人の姉の店と言う情報までつけて。

    じゃあ、あなたは無許可で自分の家を撮影されて場所は特定出来ないから公開されてもOKなのですか。

    「ここには数十年前の事件の犯人の家族の心の傷を数十年経って興味本位で抉る最低な人間が住んでます。」

    「勝手に個人宅の写真を撮影してwebに載せるモラルレスな人間の家です」

    と公開されても
    場所が特定できないモノであればOKなんですよね。

    言っておきますが、犯人はその本人だけであり犯人の家族も被害者なんですよ。

  10. 管理人様、お久しぶりです。鈴蘭です。

    kenn様もはじめまして。

    戦前の悲惨な事件を遺族に無神経にきくなんて…と言うならば被爆者・戦争体験者からは、戦時中の事等を何も訊けなくなってしまいますね。
    被爆者や被爆建物の写真撮影も然り。

    今まで戦時中の話しを語り継いできた方やお話しを訊ねた方、原爆資料館等の存在は終戦から65年しか経ってないのに、戦争体験者の心の傷を抉るような最低な行為をしてることになりますね。

    津山事件・第二次世界大戦、日中戦争…戦前~戦時中の日本で大量虐殺が起こった悲惨な「事件」ですから。

  11. 私が当事者の立場だったら、もうそっとしておいてほしいと思うかもしれませんね。
    ただ、私にも弟がいますが、もし弟が事件を起こした場合、弟がどんな気持ちで、
    どんなに辛い思いをしたかを知ってもらいたいと思うかもしれません。
    知ってもらったところで、返ってくる意見は非難が多いかもしれません。
    でも、同じような立場、同じような辛さを味わっている人は、ある程度わかって
    もらうことができたら、弟も少しはうかばれるかもしれないと思うでしょう。

    私は30年前にこの事件を知り、彼に遺書を読んだときは、あまりに気の毒で
    涙が出ました。彼の思い込みや逆恨みの部分もあるかもしれないという記述も
    ありましたが、文章からは、冷静で論理的で、確かに頭の良い人という印象を
    受けました。

    全部彼を擁護するつもりはありませんが、自分が彼の立場だったらと
    イメージしてみましたが・・・その辛さは想像できませんね・・・
    実際、彼は、人の誹謗中傷により死ぬことを何度も選択していたという
    のですから

    次元は違うかもしれませんが、学校・職場のいじめで自殺したり、うつ病に
    なったりする人がいる現状があるのですから、他人様に対して、
    悪口を言ったり、バカにした言葉を言ったりしてはいけない、という
    当たり前のことを、身につけることが必要ですね。

    話がずれましたが、場所が特定できることについて、確かに善し悪しですが、
    それは、そのサイトを見た人のモラル次第だと思います。
    私は、30年来望んでいた、都井睦雄さんのお墓参りをさせてもらうことが
    できるかもしれない、おかげさまで、という気持ちです。

    ただ、都井家の方達が、そういうことはやめてほしいと思っていらっしゃるなら
    やめますが。

    ただただ、あの世で都井睦雄さんが、幼い頃に亡くされたご両親と健やかに
    暮らし、成仏されることを心から祈っています。

  12. 70年前ですからねえ・・・。ほぼ誰も実感がないわけです
    知る人すらも少ない。完全に歴史化してしまった事項です
    そういう物の場合、webで公開しても実害や誹謗中傷は
    まずあり得ないでしょう。遺族でももはや他人事に感じて
    いるのでは?別に貶してる訳でなく、ただ事実を追求して
    いるだけですから。むしろ本サイトは擁護の立場にあると
    私は感じました。全く理解されないまま、ただの殺人鬼と
    未来永劫みなされるよりは良いのでは?とも思いました

  13. 賛否両論、いろんなコメントがありますね。殆どが否定的な意見のようですが。私は敢えて中立者としてコメントさせてもらいますが、まず否定論に対して。ざっと閲覧して、鼻白むおもいがしました。遺族の気持ちが云々、と言いますがあなたたちはそもそも何お期待して、このサイトお開いたのですか。興味本位な好奇心でわないですか?。ほかでは閲覧できない刺激的な記事が見たくてでは?かく言う私もその一人で、こうして事件に関する様々な記事お手繰るうちに、自分のあさましさに嫌悪することがあります。(ただの野次馬じゃないか)と。かと言って管理人お擁護するわけではありません。プロのジャーナリスト気取りで、過去すでに報道されている記事お、訳知り顔でアップする記事は、引きこもりの自慰行為としかおもえませんが。

  14. 「てにをは」すら怪しい日本語力で、当たり前のことをドヤ顔で書き込むのは慎まれた方がよろしいかと。個人ブログなんてものはそもそも、公開オナニー以外の何物でもないというのは常識でしょう。それとも、貴方は何かそれ以上のものを期待していたんですか?

  15. (嘲笑)自分のしていることはオナニーだと、開きなおるくらいならはじめから、分を弁えたことをしろマヌケ。期待?おまえな、公開オナニーをするような、マヌケの書いたような記事に誰が期待をするとおもってるんや?そもそも誰が一言でも、期待をかけるようなことを書いた?図星をつかれ悔しいのは解るが、言葉の揚げ足をとり、居直るくらいならはじめからするな。肯定論も否定論も含め潔く受け入れる腹を据えてから出直してこい。言うつもりはなかったが、俺の友人に都井家の親族がいる。就職するにも都井という苗字で、痛くもない腹をさぐられ70年経った今もつらい思いをしている。このブログも見た。お前がどう屁理屈を並べようと、親族の気持ちは全然別のところにある。おまえにはオナニー程度のことかしらんが、親族には100年経っても、昨日の出来事なんや。書く以上オナニーと開き直らず、責任をもってコメントをしろ。親族が見ていることを常に意識してな。ボンクラが。のぞき趣味の変態が。

  16. みっちゃん様

    「俺の友人に都井家の親族がいる。」そうなでございますか!!
    あらあら、そのお友達も貴方のような品が無いお友達をもたれて貴方のせいでこのサイトご覧のお方は都井家のイメージ悪くなりましたね。そのためで都井様も品格を落とされましたね。いつもかばうように言われているのですか?

    このサイトはこの歴史的な事件に歓心ある方しか見ておられませんよ。大丈夫ですよ、遺族、親戚様には危害をどなたも加えません、いままでこのサイトのお方が危害加えた事実がありますか?

    私含めて、ただ根暗な知りたいだけの野次馬だけですからご心配なく。

    ここの管理人様も文章が荒いだけで悪気も無いお方ですから、管理者に対する暴言は都井家のお友達のため、この記事を読まれた皆々様、お気の毒ですのでどうぞおやめくださいませ。

    偉そうな発言いたしまして、みっちゃん様ご無礼いたしました。

  17. まだやっとるかぁ?間抜けなせんずり君。相変わらず引きこもってばかなジャーナリストごっこしてるんやろうなぁ(笑)間抜けな閲覧者に擁護してもらってよかったねぇ。どうせ彼女にコメントさせたかお前の自演なんやろうが、いい加減くだらんことはやめとけよぉ(嘲笑)

  18. 僕も、岡山県北の出身で、この事件を知ったのは確か小学生の時でした。
    今から20年程前です。
    その当時、映画や本などで見まして、お爺さんお婆さんに事件について聞いてみた所、あまり知らないと言ってあまり聞けなかった記憶があります。
    なんせ戦前に生きていた、爺さん婆さんだったので、戦争の話は良く聞いていました。
    僕は、この事件があった場所にも行った事も無いですし、実際、孫も僕くらいの歳だと思いますし、根掘り葉掘り話したいという人などいなんではないでしょうか。
    ですから、わざわざインターネット掲示板を立ち上げて、もし、姉の孫など見ていたとしたら、
    嫌な気持ちになりますよね。
    ですから、今直ぐこの掲示板削除して下さい。
    とても、不快です。
    さっさと削除して下さい。

  19.  以前の内容を全部読んでいた訳ではないので、いろいろと論議があったことを初めて知りました。都井の甥はすでに石川清さんのインタビューを受けておられますし、このサイトを見ていちいち場所や本人を特定しようとする人もいないと思います。事実を明らかにしようとすれば関係者にも立ち入ることになる場合もあり、存命者が多数いる最近の事件なら十分な配慮が必要と思いますが、すでに七十年以上経過している事件に対し、関係者のことを極端に神経質に考える必要があるか疑問です。あちこちで取り上げられている高橋お伝にだって子孫はいるでしょう。あまり言い出すと際限なくなるのではありませんか。津山事件に関する著作では被害者や関係者の氏名が、都井の親族も含めて大部分仮名になっていますが、それで十分配慮しているといえるのではないでしょうか?歴史的事実として自分の先祖に有名事件の犯人がいたとしたら、それは歴史的事実として受け容れるしかないことです。否定はできない事実です。ただしあまり考えたくない事実だとして、インタビューの申し込みを拒否するのもその人の自由です。この事件の遠因に姉の存在を上げる意見もあり、一定配慮の下、調査がなされることはやむをえないと思います。私は掲示板を削除する必要まであるだろうかと思います。

  20. 偶然、このサイトを見ました。
    今からちょうど50年前に、お姉さんのM子さん(たしかそんな名前でいた)と電話ですがお話したことがあります。
    当時同じ21歳だったぼくは津山事件と睦雄という人間に強い関心を抱き、東京から電車を乗り継いで津山まで行き、電話帳でM子さんの電話番号を探しあて、「ぜひ睦雄さんのお話を伺いたいので、お会いしたい」とお願いしたら、「ごめんなさい。そのことには触れたくないんです」と断られました。
    相手の心情を考えればそれ以上は押すことはできませんでした。
    声の響き、話し方はとても丁寧で教養があるように感じられました。
    市内に1泊し、翌日、一宮参道にあるM子さんの食堂まで行ってみました。
    なにくわぬ客を装って、お顔だけでも拝見したいと思いましたが、残念ながらお店の戸は閉まっていました。

    1. 大変恐縮ですが、お姉さんのお名前を伏せさせていただきました。何卒ご了承を賜りますようお願い致します

  21. 犯罪を犯した加害者親族が一番辛い思いをする本を呼んだ事があります。
    家をネットで公開されて投石や落書きされたり犯罪マニアの霊場巡りにされたりして引っ越しを余儀なくされたり。
    ただ70年も経っているし管理人さんには失礼な事ですが閲覧者も私みたいな歴史好きか犯罪史に興味がある少数です。写真見たから興味本位で行ってみようなんて思いません。それを言うなら世間の周知に晒した映画八ッ墓村の方が大罪ではないでしょうか?
    私もあれを見て津山事件に興味を持ちました。
    大半の人があの映画で津山事件を知ったと思われます。
    お金まで儲けて、被害者や加害者の親族に謝罪もしてない。名前を変えて創作であれば表現の自由として何でもして良いのか?と思いました。

  22. 当方今47歳ですが岡山県の県北出身です。父が岡山県警に勤めていたこともあり、中学生ぐらいの頃、父の書棚の中に「岡山県警五十年史・上下巻」という分厚い書籍を見つけ、津山事件を知りました。その本は昭和50年代に記されたことから個人情報に関しては全く配慮されておらず、警察の調べによる事件のあらましが詳細に記されていました。大人になって自分も貝尾を訪ねてみました。冬の夕方でもあったため中国山地の中の小集落は雲が低く垂れ込め、陰鬱な印象でした。

  23. 村人の態度が事件を引き起こしたとはいえ、ちゃんとした知識もなかった当時のしかも田舎の農村で
    (感染の噂もある)病気持ちが受け入れられなかったというのは、加害者も辛かったではあろうが
    村の人たちの感情も理解できる。 自分が同じ立場なら聖人のように接することが出来ただろうか。
    時代も考え方も異なる(いわば他人事の環境の中で)村八分にした村人達を非難するのは簡単だ。
    病気持ちとの肉体関係を拒んだ女性達が裏切者だというのも、正直、逆恨みに近いものを感じる。
    無論、同情できる点はあるにせよ、加害者だけの言い分で村人だけを一方的に叩いてる意見には
    恐ろしく偏ったものを感じる。 実際、彼は自分の迫害とは関係のない子供も容赦なく殺している。 
    (助けた命はあるにせよ、気まぐれに近く、慈悲と呼べるものではないだろう)
    いずれにしても一部でいわれる悲劇の殺人者だとは全く思わない。遺書の中で姉に謝罪しているが
    本当にお姉さんが気の毒である。

  24. 相模原市の津久井やまゆり園の事件をみて、津山事件を思いだしました。

    管理人を脅迫してる人がいてビックリしました。
    身内に殺人犯でもいて差別されているんですかね。

    1. 感情の鈍化した人間が無関心に人を傷つけていくんやで
      びっくりしましたやないで
      なにが問題なのかシンクロしてから発言するんやで

  25. 今YouTubeでこの事件を見ました。とても悲惨な事件です。でもなんだか睦雄の気持ちもわかります。現代にも形は違うが同じようなストレスたくさんありますよね。その都度悲観して殺してやりたいと思っても殺人なんてませんよね。

    当時の時代、田舎の風習とかも考慮しながら考えると、恐ろしくもなり、もしかしたら自分も同じようになったかな?とか、怖いことも浮かんだり…も一瞬思いました。

    でも睦雄さん銃器買うために農地を売ったり、経済的に困窮してた訳ではないのかな?と考えると、病気+人間関係でドン底でも、加えて経済的困窮を抱えてる人間も沢山いるなかで、そこまで思い詰めなくても、とも思いました。

    やっぱり当時と現代の時代の違いがありますよね。

  26. 都井睦雄の実姉さんはいつ頃からうどん屋さんを営まれていたかご存知の方はいらっしゃいませんか。
    嫁がれた当時からうどん屋さんだったとしたら、お姉さんは弟と祖母にせっせとうどんを送っていたのでは。
    それを毎日のように食べていたととしたら、睦雄は小麦粉のグルテンによって精神不安に陥るリーキーガット症候群だったのではないかと私は考えています。

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