被害者の家族

被害者家族その1
(毎日新聞昭和38年5月31日付朝刊)

昭和38年といえば、鉄腕アトム(白黒版)の本放送が1月から始まったばかりの頃です。昭和34年の皇太子殿下・美智子様(現在の 天皇皇后両陛下)ご成婚に伴いTVが普及し、量産効果で安くなったとは言っても、大卒初任給が19,380円の時代に数万円したテレビ (感覚的には、現在の大画面プラズマ/液晶テレビのようなものでしょうか)を、「バカらしいという人もいるだろうが、好きな テレビを埋めてやることが肉親の気持ちなのだ」という父親の言葉には、確かに肉親の愛情を感じます。
それと同時に、N家の羽振りの良さも感じるわけですが。
被害者家族その2
(毎日新聞昭和38年6月23日付朝刊)

IKさんが犯行を「自白」したと発表された直後の被害者の次姉と長兄の写真。次姉は後に、逮捕されたIKさんの死刑判決 (昭和39年3月11日)直後からノイローゼ状態となり、ほどなくして(昭和39年7月14日)「自殺」しています。そして、 一般的にその理由は、「次姉は佐野屋での会話等から真犯人を知っており、冤罪であるIKさんに死刑判決が出たことを 気に病んで自殺した」と推測されていることが多いと思います。
しかし、この写真を見る限りではそういった屈託は感じられません。この時点からIKさんの死刑判決までの間に真犯人を 知ったということでしょうか。あるいは、この時点ではまだ「死刑にまではなるまい」と考えていたということでしょうか。
被害者家族その3
(週刊現代昭和39年7月30日号)

次姉が自殺した直後の記事です。
次姉の遺書が掲載されています。「○○○(自分の名前)の生活には発展もなければ何の信念も考えもない。動物にすぎない。 死を考える親から、よい子など生まれません。五月一日、××(妹である狭山事件被害者)の供養をしたとき、はじめて 自分がわかった。二人で真っ黒になって働いたころが一番幸せだったと思う。先立つ○○○のわがままを許してください」 というのはどういう意味なのでしょう。やはり次姉は「真実」を知っていて、それを公表できない自分の弱さを「何の信念も 考えもない」と表現したのでしょうか。
被害者家族その4
(サンデー毎日昭和39年8月2日号)

「その3」と同様の内容ですが、ノイローゼと診断した医師の談話が掲載されています。こちらで遺書として引用されている 「私は美しい花を見ても美しく思えない女になってしまった」という内容はさらに暗示的です。
被害者家族その5
(週刊文春昭和52年10月20日号)

事件後14年を経過し、最高裁がIK氏の上告を棄却し、被害者の実兄(次男)が自殺した直後の報道です。
著者の亀井トム氏が長兄犯人説+劇団おまわり説の総本山であることを割り引いて読む必要はあると思いますが、不可解な 死の連鎖や次兄の遺書など、事実関係には参考になるところも多いと思います。
被害者家族その6
(週刊新潮昭和52年10月20日号)

「その5」の週刊文春と同様の内容ですが、被害者の母親に関する記述が掲載されています。

ホームに戻る