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その他: 徒然草

世にかたりつたふる事、まことはあいなきにや、おほくはみな虚事なり。あるにも過ぎて人はものを言ひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ。

(徒然草)

世間で語りつたえる事は、ほんとうの事実はつまらないのか、たいていはみなでたらめだ。人は、事実以上にものごとを言いたてるうえに、まして年月もたち、場所もかけ離れたところだということになると、言いたいほうだいにでっちあげて、文章にまで記録してしまうと、それでもう事実ということになるのだ。

小西甚一『古文研究法』(上記・徒然草の文章の現代語訳)

学生時代の参考書を読み返していたら、非常に含蓄のある言葉が目に付いたので、今更ですが書き留めておきます。狭山事件でも、下山事件でも、津山事件でも、この言葉に当てはまる本や人が容易に思い浮かびます。

「年月すぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきままに語りなして、筆にも書きとどめぬれば、やがてまた定まりぬ」
この言葉は、本ブログを続ける限り心に留めておきたいと思います。

 

津山事件: 70年目の新証言 その2

以前ちらっと書いた週刊朝日2008年5月23日号の「実録 津山30人殺し 『八つ墓村』事件70年目の新証言」についてのことだと思いますが、コメントでご質問をいただいたので検証してみます。

質問なのですが「津山事件報告書」には、犯行当日の夜に貝尾部落のお堂で
睦男と村人たちが宴会をした模様は書かれていますでしょうか
こんどお暇の時にでもご回答をお願いいたします。

結論から言うと、『津山事件報告書』には当日の夜睦雄と村人が宴会をしたという記述はありません。記事を書いた小宮山明希記者の勘違いか捏造かのいずれかであろうと思います。

まず、週刊朝日の当該の記述を確認しましょう。
shuukanasahi-080523週刊朝日2008年5月23日号より
これを見てわかるように、

その後、都井は自宅の裏手のお堂で、村の若者ら6、7人とともに宴会に参加していたという。宴会が終了したのは深夜0時頃。惨劇はその約1時間後に起きた-。

この記述はおじいさんの発言ではなく地の文として書かれています。「宴会に参加していたという」のソースは示されていません。

他方で、上述の通り『津山事件報告書』にはそのような宴会があったという話も、睦雄が参加していたという話も書かれていません。さらに、これまで70年間、筑波本や清張本をはじめ、誰一人としてそのような宴会があったという話をしていないことから考えても、宴会の存在はほぼ「ありえない」と否定してよいと思います。

もう一つ、宴会がなかったであろう証拠を。
事件の年の8月に近くの寺(真福寺)で合同慰霊会が開催され、その際に津山警察署長や西加茂村長、さらに村人たちが参加して「座談会」が開かれました。一部は筑波本(『津山三十人殺し』)にも引用されていますが、筑波本で省略されている発言に以下の内容があります。
houkokusho-seinenkaijpg『津山事件報告書』より

署長 当地には結核患者を故らに嫌う風習がありますか

寺井勝 左様なことはありません

署長 犯人の遺書には部落の人が結核に対する理解がない様に書かれて居りましたね

寺井勲 近所の者は皆結核と思うて居なかったのに都井は自分から結核であると言うて居ったのです

寺井勝 私は本人に対し君は勉強が過ぎて神経衰弱になって居るので結核ではないと云うてやって居りました、年末の夜警や青年の集会等には何時も都井君行こうではないかと誘うてやって居りましたが本人は何時も行けたら行くからと云うて丁寧な返事をして居りました。しかし大勢寄り合う場所は都井自身が避けて居りました、従て消防の年末夜警にも都井を組み合わせに入れませんでした、兎に角我々は本人に対し非常に同情して居ったので新聞紙に報道されて居た様に部落の者が嫌うた事はありません

もし当日に宴会があり、睦雄がそこに参加していたのであれば、この時に「当日も青年の集会があり、都井も珍しく参加しておりました」などと村人たちが睦雄を受け入れていた例として話に出すはずです。「実はその宴会はいわゆるヤリコンで、だから村人たちはその存在を隠しているのだ」という反論もあるかもしれませんが、それならそういう宴会だったことを伏せて話をすれば済むことであり、警察署長に村の親和性をアピールする格好の材料になったことでしょう。

また、貝尾には西加茂村役場書記の西川昇が住んでいたことも見逃せません。彼は職業柄警察の聴取に対して極力情報を提供しており、そのような宴会があれば彼を通じて警察に情報が提供されることは間違いないと思います。

そもそも、5月下旬は蚕の世話で忙しい時期であり、村人の一人(寺井元一)は

事件のあった夜、私は蚕の方が忙しくて、夜の一時半頃寝ました。

と証言しています(寝てすぐ事件で騒ぎになって起こされたとのこと)。この証言と、養蚕室で仮眠をしている時に襲われた被害者が多かったことから考えても、0時前に働き盛りの青年が集まってのんびり宴会をするような季節ではなかったと思われます。これも宴会がなかったであろう傍証です。

この点以外でも、今になってこの週刊朝日の記事を読み返すといろいろとツッコミどころが多いですね。当時私が書いたエントリでは薦めてますが、正直あまりオススメできる内容ではないことに改めて気付きました。

津山事件に関する本はこちら

 

下山事件: 週刊朝日2009年7月17日号の記事 その2

今回の週刊朝日の記事で、最悪なのは以下の部分です。

さらに、矢田氏は、自殺説の根拠のひとつとされる、下山総裁らしき人物の目撃証言を洗い直してもいる。警視庁の捜査記録に掲載された23人をあらためて訪ねたところ、証言者たちは「調書の内容はデタラメだ」と口々に話した。

この後に「あの男は下山さんとは関係ない別人だといまでも確信しています」という証言が引用されています。

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下山事件: 週刊朝日2009年7月17日号の記事 その1

下山事件から60年ということで、週刊朝日に記事が出たことをコメントで教えていただきました。ありがとうございます。早速購入して読んでみました。署名によると担当記者は諸永裕司氏とのことです。諸永氏、週刊朝日編集部に戻っていたんですね。知りませんでした。

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津山事件: スーパーモーニング

「スーパーモーニング」で都井睦雄の墓とされていた石「スーパーモーニング」で都井睦雄の墓とされていた石

本日(2008年7月21日)朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」で、津山三十人殺しの特集がありました。先日のトトロ放映に続いてまた本ブログへのアクセス数が増大しています。結論から言うと、何というか、あれだけ短い中でよくもこれだけの間違いを詰め込めるもんだと呆れるデキです。

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下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その5

『葬られた夏 追跡 下山事件』『葬られた夏 追跡 下山事件』

「諸永氏のレトリック」最終回です。ネタとしてはまだまだありますけど、キリがないし個人攻撃をしているように取られるのもイヤなので、この辺でいったん終了とさせていただきます。

本題に入って今回引用した画像についてですが、まず、そもそもの問題として、どうして「東大法医学教室の主任教授だった古畑」が色素の鑑定を担当したことになっちゃうんでしょうか。東大裁判化学教室や秋谷教授はどこに行っちゃったんでしょうか。その前のページ(133ページ)にも「この油について東大法医学教室が調べたところ、機関車や貨車に使われる鉱物油ではなく、最終的に米ぬか油だとわかった」となっていますが、医学部に所属する法医学教室が、なんで死体じゃなくて油の分析や鑑定をやらなきゃいかんのでしょうか。133ページの最初にはちゃんと「警視庁から東大裁判化学教室に持ち込まれた下山の衣類には」云々とあるんですが、どっかで法医学教室と裁判化学教室が入れ替わってしまったようです。

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下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その4

『夢追い人よ』『夢追い人よ』

前回の画像で引用した部分にはもう一つ、諸永氏の悪いクセが出ているところがあります。 それは、「既に発表されている周知の内容を、さも自分が発見した新事実のように書いてしまう」という点です。

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下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その3 下山総裁がタバコを1本も吸わなくなるまで

『葬られた夏 追跡 下山事件』『葬られた夏 追跡 下山事件』

前回引っ張りましたが、末廣旅館に現れた「下山総裁」がタバコを1本も吸わなくなるのには諸永氏のテクニック(笑)が一役買っていると思います。それ以外にも、今回引用した画像には諸永レトリックを堪能できる部分がいくつかあります。

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下山事件: 諸永裕司氏のレトリック その2

Wikipediaの「下山事件」の項目で、こんな内容が最近いったん除去されたのに復活されました。

強度の近視でヘビー・スモーカーの下山にも関わらず、旅館滞在中メガネを外し続け、タバコを一本も吸わなかったとの証言もある。

ご丁寧に、「編集内容の要約」欄にはこのようなことが書かれています。

削除された部分は、平成三部作に基づいているのではなく、矢田喜美雄『謀殺下山事件』や下山事件研究会『資料・下山事件』に述べられている事で、事実に反してなどいない。

しかし、実際のところ、『謀殺 下山事件』にも『資料・下山事件』にも、末廣旅館で総裁がメガネを外し続けていたとか、タバコを1本も吸わなかったなどという記述はありません。なんでそういうことになってしまっているんでしょうか?

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