Tag Archives: 筑波本

津山事件: サムハラ神社

とあるクソアニメの第4話で、セリフに「サムハラ神社」が登場していました。

サムハラ神社に関する以前の記事はこちらをどうぞ

今回、改めてサムハラ神社を検索してみたところ、最近サムハラ神社の指輪が人気になっているようで、話題になっているんですね。2010年に私(本ブログ管理人)が訪問した頃は、大阪の神社の方も人影がまばらな状態で、加茂の奥の院も人っ子一人いない状態でしたが、だいぶ賑わっているようです。まずはご同慶の至り、といったところです。


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津山事件: 『津山三十人殺し 七十六年目の真実』 その1

石川清さんの新刊『津山三十人殺し 七十六年目の真実: 空前絶後の惨劇と抹殺された記録』を入手しました。
1冊Amazonで購入済だったのですが、わざわざ著者の石川さんから献本もいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

石川さんは前著の刊行後も毎年現地取材を続けているとのことで、貝尾の被害者遺族の方々の重い口からも証言を引き出しています。狭山事件の伊吹隼人さんと同様に、その熱意と、何度も現地に足を運んでの取材の成果が現れている本だと思います。津山事件に興味がある方は是非とも一読をお奨めします。

第一章で山口の連続放火殺人事件(「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」という川柳が話題になった、2013年に起きた事件。集落内のいざこざが原因で、近隣の5人を殺害・放火した)と津山事件との類似性について触れているのは、時事問題の話題ということでご愛敬でしょう。第二章以下の分析については、目を見張るものがあります。また、第二章では、拙著『津山事件の真実』とその内容にも触れていただいており、いくつかの点で見解の相違はあるものの、大筋では拙著で展開した筑波本批判に同意していただいています。

個人的に、今回の本の白眉は、第三章と第五章です。従来、「祖母」、姉、睦雄の3人が倉見を離れて小中原(加茂の中心地)→貝尾と移り住んだ理由については謎とされてきましたが、都井家の関係者への取材でその理由が明らかになっています。また、第五章では寺井マツ子の重要性とその証言の不自然さを分析し、衝撃的な仮説を提示しています。

最終章では「残された謎」と題して、これまでの取材でも明らかにできなかった「謎」について書かれています。どれも大変興味深い考察と問題提起で、「雄図海王丸」や阿部定との関係のようなセンセーショナリズムに基づく捏造抜きでも、この事件が奥深く、興味ある事件であることを改めて感じました。

前著『津山三十人殺し 最後の真相』も同じ学研から再刊予定とのことです。現在は古本がプレミアがついている状態なので、嬉しいニュースです。未読の方はこちらも併せて閲覧されることをお奨めします。


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津山事件: 石川清さんの新刊

石川清さんの新刊『津山三十人殺し 七十六年目の真実: 空前絶後の惨劇と抹殺された記録』が、学研パブリッシングから出版されたとのことです。ちょっとまだ入手できていないので、内容についてはまた改めて。


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津山事件: 本田透著『電波男』

久しぶりに津山事件関連の話題です。

掲題の本で津山事件の犯人である都井睦雄が採り上げられているのを知りました。

この本の中で、著者(本田透氏)は都井睦雄と宮沢賢治のことを

ほぼ同時代に地方の農村に生きながら、方やいまだにファンの多い「童話作家」、こなたいまだに猟奇小説や猟奇映画に登場する「連続殺人鬼畜」。まったくもって人生のエンディングが異なっている二人なのだが、共通点は非常に多い。

と対比しています。しかし、実際には宮沢賢治は1896年(明治29年)生まれ、1933年(昭和8年)死去で、都井睦雄は1917年(大正6年)生まれ、1938年(昭和13年)死去ですから、二人には21歳の差があり、死去した年は確かに近いものの、「ほぼ同時代」というのは正直ちょっと無理があるかと思います。

そして、本田氏が二人の共通点として挙げているのは下記の点です。

  1. 田舎の農村出身の長男で割と裕福
  2. 病弱
  3. 引きこもり
  4. 片や妹萌え、こなた姉萌え
  5. 作家志望だが、田舎暮らしが祟ってまったく芽が出ず
  6. 片や生涯真性童貞、こなた金を払うか追い込みをかけなければ相手にされないモテない男。いずれも生涯恋愛経験ゼロ

1~4まではある程度頷けるところですが、5と6に関しては多少の異議があります。5に関して、これまで本ブログや同人誌でも論証してきましたが、睦雄が作家志望で少年向け小説を書いていたという話や、睦雄が書いたとされる小説「雄図海王丸」は筑波昭氏による創作と考えます。したがって、実際に童話や詩を書き、発表していた宮沢賢治との共通点とするのは無理筋ではないでしょうか。また、「生涯恋愛経験ゼロ」という点に関しても、宮沢賢治に交際相手の女性がいたという説は複数の研究者が唱えていますし、都井睦雄も結核に罹患していることが判明するまでは村の女達の間でそれなりにモテてていたという話もあります。

そして、大きな相違点として以下の2つが挙げられるでしょう。

  1. 宮沢賢治が、病気によるブランクはあったものの旧制盛岡中学→盛岡高等農林学校へ進学したのに対し、都井睦雄は「祖母」の反対や病気もあって高等小学校で学業を終えたこと
  2. 宮沢賢治には父母が健在であったのに対し、都井睦雄には「祖母」と姉しかおらず、姉が嫁いだ後に「祖母」が実は血縁がないことが判明したため、天涯孤独の身であったこと

これらはいずれも、睦雄が犯行を決意する上で重要なファクターであり、その意味で宮沢賢治と都井睦雄の「人生のエンディング」が異なってしまったのは当然の帰結ではないかと思います。

ただし、本田氏の

賢治は、妄想する=二次元の世界を作る、というオタク行動によて、鬼畜化という悲劇を阻んだのだ。

むしろ、モテない男は、心の安寧を得るためにどんどんオタク化するべきなのだ。都井だって元々は姉に萌え狂っていたのだからもっともっと萌え燃料を与えられていれば、こんなことはしでかさなかっただろう。

という議論には一理あると思います。本田氏の言うとおり、睦雄が現代に生きていれば、オタク的二次元に心の安寧を求めることである程度悲劇を回避できたのではないでしょうか。逆に、現在進められている二次元表現に対する規制が進みすぎれば、都井睦雄的な悲劇を生み出す結果になるのではないかと危惧します。

最近Twitterで見た表現に下記のようなものがありました。

「暴力ゲームなんてやってるから本当に暴力犯罪に走る」 と「恋愛ゲームなんてやってるから本当の恋愛が出来なくなる」の矛盾は確かに噴く。

全くその通りだと思います。こうやって無茶苦茶な論理を振り回してゲームや小説、マンガを悪者にする人の頭こそが「ゲーム脳」なのでしょう。都井睦雄の犯行時の装束が「少年倶楽部」のマンガにヒントを得たものではないかという話がありますが、そういうゲーム脳患者の方々が当時いたら、「少年倶楽部を発売禁止にしろ」という話も出たでしょうか。


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津山事件: 石川清さんと対談

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ワシントンDC(ダレス国際空港)で書いています。

出国直前に、『津山三十人殺し 最後の真相』の著者である石川清さんと対談(というほど大げさなものでもありませんが)させていただきました。様々な情報やご意見を伺うことができて、大変有意義な時間でした。

著書で指摘されていた睦雄とおばやんの関係について、石川さんご自身は「確定ではないと考えている」とおっしゃっていました。しかし、戸籍にも明確に記載されていることであり、ほぼ確定でよいのではないかと思います。逆に、今後津山事件を考える時は「このこと」を前提にする必要があるでしょう。特に、睦雄が事件を起こした動機の考察には影響が大きいと思います。その意味で、今年は津山事件の実証研究元年と言えるかもしれません。
睦雄が「このこと」を知っていたのか、知っていたとするといつ、どのように知ったのか、もかなり重要な論点になると思います。石川さんは著書で明確には知らなかったのではないかとしていましたが、私は知っていたのではないかと考えています。このあたりは今後さらに研究が必要でしょう。

ちなみに、私が墓の記載から推定して修正した睦雄の父の実際の生年を考慮に入れても、石川さんのご指摘は成立します。

私と石川さんの対談は、2月21日発売の雑誌「映画秘宝」4月号に掲載予定です。かなりとりとめもなく話をしてしまったのでどのような形にまとまるか不明ですが、興味がある方はご笑覧いただけると幸いです。

 


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・事件研究所編著『津山事件の真実(津山三十人殺し)』
・伊吹隼人著『狭山事件-46年目の現場と証言』
・葛城明彦著『決戦―豊島一族と太田道灌の闘い』


津山事件: 同人誌『津山事件の真実』完売御礼

『津山事件の真実(津山三十人殺し)』、完売いたしました。お買い上げいただいた皆様、ありがとうございました。

とらのあな委託分も完売しました。今年の夏コミに受かったらまた増補版か何かを作るかもしれませんが、現在のところ増刷予定はありません。あしからずご了承ください。


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津山事件: 『津山三十人殺し 最後の真相』

何回も「これが最後」と言った舌の根も乾かないうちにまた津山事件関係ですいません。

これまで長期にわたって津山事件関係のルポを手がけてこられた石川清さんが、『津山三十人殺し 最後の真相』という本を出版するそうです。出版社はミリオン出版です。アオリ文句を見る限り「寺井ゆり子」さんのインタビューが掲載されているようで、もし事実とすればかなりすごいことだと思います。
タイトルが某『最後の証言』に似ているところがちょっと気になりますが(笑)、とりあえず情報だけ。


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津山事件: 『津山事件の真実』とらのあなで取扱開始

「とらのあな」通販にて『津山事件の真実』の取扱が開始されました。

とらのあな通販『津山事件の真実』ページへ

銀行振込前払い以外の決済方法をご希望の方、当方のような個人ページに個人情報を晒すのはイヤだという方はこちらをご利用ください。

これで津山事件関係のエントリは一段落です。次回からは狭山事件関係をとりあげる予定です。


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津山事件: 筑波本(新潮文庫版)について

引き続き、津山事件関係で最近判明したことを。

文庫版(新潮文庫ならびに新潮OH!文庫)の『津山三十人殺し』では、単行本(草思社刊)であれだけフィーチャーされていた「雄図海王丸」が全文割愛されているようです。

これは同人誌を印刷した後で、それを読んだ方からご指摘をいただきました。正直なところ、私(本ブログ管理人)は文庫版を読んだことがなかったので把握していませんでした。ご教示ありがとうございました>教えていただいた方

本当に都井睦雄(津山事件の犯人)が「雄図海王丸」を書いたのであれば、単行本版におけるその扱いの大きさからいって、文庫化に際して引用を短縮するにしても多少は残すでしょう。やはり「雄図海王丸」は、単行本にする際の束(ツカ)を増やすために矢野龍渓『浮城物語』を改変して筑波氏が創作したものと考えざるをえません。

ではなぜ筑波氏は改変の元ネタとして『浮城物語』を選んだのか。この先はちょっと陰謀論が入ります。

  1. 矢野龍渓氏が亡くなったのは1931年(昭和6年)
  2. 『津山三十人殺し』(単行本版)初版出版は1981年(昭和56年)
  3. 日本の著作権法における著作権存続期間は、著者の死後50年

これらの3つの事実が偶然の符合であるとは、私(本ブログ管理人)には思えません。
おそらく筑波氏としては、リスク管理の意味合いも込めて著作権が切れた作品を改変の元ネタに選んだのでしょう。あるいは、そこまで深い考えはなく、1981年当時に「矢野龍渓没後50年」といった報道やプチ矢野龍渓ブームがあって、それをたまたま筑波氏が目にしてその知名度を利用しようとしたということなのかもしれません。文庫化する時にはそういった話題も消え去ったので、あっさり全文削除した、と。

いずれにしても、「雄図海王丸」は睦雄ではなく筑波氏が書いたものであることはほぼ間違いないと思います。したがって、筑波本単行本版に掲載されている直筆の「原稿」も睦雄の筆跡ではないと考えます。


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