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狭山事件: 川越高校入間川分校跡地が更地に


川越高校入間川分校跡地

年末に伊吹隼人さんから情報をいただきました。被害者が通っていた川越高校入間川分校の校舎は、入間川分校の廃止後は狭山医師会立准看護学校として使われていましたが、手前にあった狭山市公会堂、後ろ側にあった武道館ともども完全に更地になってしまいました。

最近まであった狭山医師会立准看護学校の建物は、狭山事件の翌年に建て替えられたもので、事件当時そのままではありませんでしたが、それでも事件当時から使われていたと思われる門柱など、当時の面影は随所に残っていました。跡地はとある企業の本社ビルと、分譲マンションになってしまうようです。

現在の駅東口(事件当時は東側に駅はありませんでした)方面も、再開発が進んで事件当時の面影がなくなって行っています。唯一、三柱神社(荒神さま)が、規模は縮小されたものの残っている程度でしょうか。また、佐野屋も建て替えられ、普通の住宅になってしまっています。さらに、佐野屋から権現橋に向かう道路も整備され、所沢方面へ直通する片側2車線の主要道になってしまいました。

既に事件から55年が経過して、私が初めて現地を訪問してからも既に10年、刻一刻と事件の面影は消えて行っています。

事件当時の地図は、こちらをご参照ください。


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狭山事件: 中日映画社のニュース動画

こちらの記事へのコメントで、狭山事件関係の動画がアップされていることを知りました。ご教示ありがとうございます。

今のところ、3つの動画が上がっています。
タグ:狭山事件

特に、一番最初の動画では、被害者の遺体が掘り出されて運び出され、自宅へ移送される状況や、葬儀の様子、さらには葬儀での同級生の弔辞などが動画で写っています。また、狭山市内での聞き込みの様子なども写っていて、大変参考になります。

この動画の最後に被害者のお墓が写っています。パッと見た感じでは現在の墓所と同じ所のように思いますが、画像が粗くてわかりません(サンプル画像のため、フィルタ処理でわざと荒くしているようです)。オリジナルの映像も見てみたく思います。


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狭山事件: 現地調査2013 結果報告

伊吹隼人さん主催の現地調査が無事に終了しました。参加者の方々はお疲れ様でした。以下、当日の模様をフォローアップ含めてお届けします。ここ数年で、特に狭山市駅前が大きく様変わりして事件当時の面影がなくなってしまいましたが、さらに狭山准看護学校も移転したため、さらに再開発が進みそうな感じです。

狭山市駅
狭山市駅その1

狭山市駅での様子。

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狭山市駅その2

狭山市駅は2010年に橋上駅舎に改装され、事件当時の面影が全く無くなってしまいました。写真の左の方が当日石川さんが休憩したという「荷小屋」の跡地になりますが、今はそれらしい跡はありません。

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狭山医師会立准看護学校跡

被害者が通っていた埼玉県立川越高校入間川分校跡地です。跡地は長い間狭山医師会立准看護学校として使用されていましたが、2013年(今年)4月に同校が狭山台に移転して現在は跡地になっています。手前の狭山市中央公民館も既に取り壊されており、奥の狭山市立武道館も建物の耐震問題で2013年(今年)4月から利用停止となっているようです。したがって、この一帯をすべて再開発する予定なのかもしれません。現在ある准看護学校の建物は既に事件後に建て直されたものですが、事件当時を偲ばせる裏口=旧入間川分校の正門門柱の処遇を含めて、今後どうなるか予断を許さない状況です。
入間川分校の沿革についてはこちらのエントリをご参照ください。

IMG_3793小澤毛糸店跡地付近
被害者が当日立ち寄って針刺しを購入した小澤毛糸店はこの辺にあったようです。駅前通りならびに商店街自体が完全に取り壊されてしまったので、当時を偲ぶすべもない状況となっています。

IMG_3797荒神さま
三柱神社(荒神さま)です。伊吹さんによれば、地主の方の意向でこの神社は残す方向とのことです。ただし、事件当時の境内と比べると数分の一に縮小しています。

IMG_3802「殺害現場」
石川さんの自白による死体発見現場です。今年のニュース等でも登場していました。だいぶ以前から雑木林は姿を消していましたが、周囲を見るとさらに開発が進んでいるようです。

この他にも権現橋(養豚場跡地)から所沢方面に抜ける道路が開通したそうで、刻々と事件当時の面影がなくなっていくことを肌で感じます。


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狭山事件: 現地調査終了と川越高校入間川分校校舎の盛り土について

4月30日の現地調査は無事終了しました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

現地調査の際に伊吹隼人さんから、「入間川分校は、旧木造校舎を鉄筋コンクリート校舎に建て替える際に、3~4mほど盛り土がされているようだ」というご指摘をいただきました。確かに木造校舎の写真と現在の写真を見比べてみると、木造時代には向こう側にある公民館とほぼ同じ高さに校舎があるのに対して、現在はかなり大きな段差があります。

bunkou木造時代の分校校舎

現在のほぼ同じ位置からの撮影

この写真を見比べると、木造時代には向こう側に見える公会堂と分校校舎がほぼ同じ高さにあり、道路からかなり下がった位置にあったのに対して、現在は公会堂よりかなり高い位置で、東道路とほぼ同じ高さに分校校舎(現在の准看護学校校舎)があります。

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狭山事件: NTさん証言 その2

弘済出版社 総合時刻表 昭和38年5月号

『現地からの報告』 の中で「狭山市民の会」は、被害者は2時35分の授業終了後すぐに出ていって戻ってきていないと結論づけています。そして、NTさんによる、「被害者は3時23分に学校を出ていった」という証言は、実際には1時間前の話だったものを警察に脅されて1時間ずらしていたのではないかと推測しています。しかし、それはありえません。

なぜなら、この当時の入間川駅(現在の狭山市駅、昭和54年改称)には、昼間は1時間に2本(30分に1本)しか電車がなかったからです。

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狭山事件: NTさん証言

前回までの考察の中でとりあげてきた、被害者のクラスメートであるNTさんの、「被害者は3時23分に出て行った」という証言の原文を念のため確認しておきます。

この証言は、昭和38年11月18日の一審第六回公判でのものなので、証言者の記憶もまだ生々しかったものと思います。元の公判調書に誤字・脱字も多いのですが、基本的にそのまま再現していきます。あまりにもあからさまな誤字・脱字には(ママ)をつけておきます。

長くなりますが、要約してニュアンスを失ってもいけないので、全文引用します。

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狭山事件: 『現地からの報告』 その5

これまで何回かに分けて川越高校入間川分校の校舎と自転車置場の場所を論じたのは、実は、私がこの証言を読んで感じた違和感についてご説明するためでした。
その違和感とは、要するに、「被害者がいったん学校に戻ってきた時に、自転車置場に自転車を戻すのはめんどくさくないか?」ということです。

上記リンク先の証言が確かだとすると、被害者が午後2:35の授業終了後、HR(ホームルーム)を待たずに自転車をころがしながら教室前を通って学校を出ていったことは明らかです。他方で、裁判でも証言したNTさん証言により、被害者が午後3:23に同様に自転車をころがしながら教室前を通って学校を出て行ったことも明らかです。この2つの「明らか」な証言の整合性を取るには、これまで何度かご説明しているように、また、伊吹隼人さんにも何度かコメントで言及していただいているように、「被害者は、2時半すぎに教室を出たがいったん戻ってきて、3時半に再度教室を出た」というのが最も合理的な説明となります。

しかしよく考えると、いったん戻ってきた時にわざわざ自転車置場へ自転車を戻すのは結構めんどうです。

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狭山事件: 『現地からの報告』 その4

こちらのエントリでご紹介した、『狭山事件・現地からの報告』 たいまつ社の内容についての続きです。
この証言は、「(被害者)が2時35分の授業終了後すぐに教室を出て行った」という証言を補強するものです。すでに伊吹隼人さんのコメントでも言及していただいていますが、念のため記事で確認してみます。

埼玉新聞昭和38年5月4日付

埼玉新聞昭和38年5月24日付

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狭山事件: 『現地からの報告』 その3

前回の続きです。遅くなって申し訳ないです。

『狭山事件・現地からの報告』 たいまつ社の内容の詳細についてはこちらをご覧ください。

いくつか検討事項を挙げましたが、とりあえず今回は教室と自転車置き場の位置関係について。

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