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津山事件: 都井睦雄の墓 その4

2010 年 2 月 13 日 土曜日

IMG_1937雪をかぶった睦雄の墓

久しぶりに津山事件に関する現地行を実施しました。というか現在まだ現地のそばの湯郷温泉にいます。昨日は、ときおり吹雪に近い雪が降る中、都井睦雄の墓を訪問してきました。上の写真は雪をかぶった睦雄の墓です。

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津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その3

2009 年 9 月 7 日 月曜日

前回エントリで、「結核で1年の間に家族3人が亡くなるものか」という疑問を提示しました。また、コメントでも、「実は死因はインフルエンザだったのではないか」というご指摘をいただきました。

私も、睦雄の両親と祖父の死因が結核ではなくインフルエンザだった可能性があると思っています。ただし、3人ともインフルエンザとすると、逆に今度は3人の死亡日が離れすぎていると思います。というわけで、最初の祖父はインフルエンザで、それが両親にうつって(もしかしたら、父親が軍隊で結核をもらってきて保菌状態だったのかもしれません)抵抗力が落ちて結核を発症、インフルエンザの影響もあって急速に悪化して亡くなったのではないかというのが現時点での推測です。その意味では、筑波本も合同新聞も間違ってはいない、と。

いずれにしても、1年以内に近親者3人を亡くしたおばやんのショックは大きかったでしょう。後年、睦雄が中学に入りたいと言ったときに「わしを置いていくのか」と反対したのも、夫と息子夫婦が相次いで亡くなった後に、ガランとした家にとり残された経験というか、トラウマが原因だったのではないかと思います。

睦雄の両親だけでなく祖父もほぼ同時期に亡くなっていたことを知ったときに個人的に衝撃的だったのは、以上のようなことを考えたことが理由です。中学に進学できなかったことは睦雄が津山事件を起こした理由の一つでもありますし、そもそも祖父と両親が健在なら、睦雄も山奥の中農の跡取りとして幸せな暮らしができただろうと思います。家族の不幸な歴史が、事件に向かって一直線に収束していくような、そんな錯覚も覚えます。

津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その2

2009 年 9 月 6 日 日曜日

mutuo_grandpa祖父の墓碑

筑波本では「父方の祖父はすでに六十二歳で亡くなっていた」としか書かれていませんが、墓碑銘によると実際には祖父が亡くなったのは大正7年(1918年)7月でした。つまり、都井家では

  • 祖父: 大正7年7月18日
  • 父: 大正7年12月21日
  • 母: 大正8年4月27日

と、1年足らずの間に相次いで3人が亡くなったことになります。

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津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その1

2009 年 9 月 4 日 金曜日

mutuo_grandparents祖父母の墓

mutuo_grandpa祖父の墓碑

mutuo_grandma祖母の墓碑

都井睦雄の祖父母の墓です。

睦雄の墓である丸石の写真で、一番奥に写っている墓になります。

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津山事件: 都井睦雄の両親の墓

2009 年 9 月 3 日 木曜日

mutuo_parents都井睦雄の両親の墓

mutuo_father父親

mutuo_mother母親

前回のエントリで、睦雄の墓である丸石の隣に両親の墓があると書きました。本日の写真はその証拠です。

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津山事件: 都井睦雄の墓 その3

2009 年 9 月 1 日 火曜日

mutuo_haka_3都井睦雄の墓(ほぼ確定)

以前のエントリ(12)では、睦雄の墓がどの石なのかいくつか説があって、どれが本当の睦雄の墓かわからないと書きましたが、おそらく上の写真の左手前に写っている丸石が睦雄の墓ということでFAと思われます。

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狭山事件: 両墓制について

2009 年 4 月 12 日 日曜日

「埋め墓」
「埋め墓」:詣り墓からは100~200mほど離れた、寺の裏手の墓地のはずれにある

「詣り墓」
「詣り墓」:「拝み墓」とも。寺の表側の墓地にある

前回エントリで再度調査・確認の必要があるとした、被害者宅における「両墓制」の可能性について、改めて現地調査を行いました。参加者は、伊吹隼人氏と新井泉氏です(「狭山事件を推理する」サイト管理人氏は都合により不参加)。

結論から申し上げると、「両墓制」は宗派とは関係ない土着の習俗に近いものであり、真言宗智山派だから両墓制ということはないこと、狭山市内で両墓制を行っていた区域は入間川沿いの一部の区域(被害者宅とは相当離れた地区)に限られることが改めて確認されました。従って、「狭山事件を推理する」サイトにおける被害者宅は両墓制ではなかったという議論は、現時点では妥当なものであることがほぼ再確認されたと言ってよいと思います。

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狭山事件: 次兄のお墓

2009 年 4 月 11 日 土曜日

次兄の墓次兄の墓

次兄の墓: 墓誌次兄の墓: 墓誌

Y枝地蔵を調査していた際の副産物として、被害者次兄のお墓を見つけました。

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狭山事件: Y枝地蔵

2009 年 4 月 9 日 木曜日

Y枝地蔵Y枝地蔵

被害者宅の前から撤去されたあと行方がわからなくなっていたY枝地蔵について、「現在別のところに移転されている」という情報をコメントでいただき、独自に調査したところ実際にありました。情報ご提供者の意志を尊重し、詳しい場所は差し控えますが、写真のみ証拠としてアップさせていただきます。

台座の部分に「枝地蔵」と書かれているのがご覧いただけると思います。

なお、この地蔵が現在安置されているお寺は被害者家(N家)の菩提寺で、宗派は真言宗智山派とのことです。狭山市内で両墓制を行っていた寺と同じ宗派ということになりますので、一度はほぼ否定された「被害者宅が両墓制だった」という説について、再度確認・調査が必要になってくるかと思います。

津山事件: 「妻 殺戮」 その2

2008 年 8 月 5 日 火曜日

最近、「不思議ナックルズ VOL.15」に「津山三十人殺し 七十年目の真実」という記事が、「漫画実話ナックルズ」増刊Vol.8 THE WORSTに「津山30人殺し 隠された血の宿命」と題する記事が相次いで掲載されました。

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