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津山事件: 都井睦雄の墓 その6

都井睦雄の墓。笹藪に埋まっています
少しだけ周辺の笹を刈っておきました

先日、仕事で近くまで行く用事があったので、急遽現地に再訪しました。

睦雄の墓はやはりもう手入れをあきらめてしまったようで、かなり笹藪に埋もれていました。とりあえずできる範囲で周囲の笹だけ刈っておきましたが、もうこのまま笹藪に埋もれて行ってしまうのでしょうね。

また、今回、「寺井ゆり子」さんがお亡くなりになったと伺いました。昨年末か今年の初め頃だったとのことで、これで事件の関係者はほぼ全員が鬼籍に入ったことになります。

ゆり子さんを含めた事件関係者の方々の安らかなお眠りを、改めてお祈り申し上げます。


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津山事件: 「昭和の謎99」に寄稿

縁あって、「昭和の謎99」という雑誌に津山事件関係で駄文を寄稿させていただきました。内容は、ブログや同人誌と異なり、かなり想像の翼を広げたものとなっています(婉曲表現)。よろしければ一度ご笑覧ください。

下のAmazonリンクから、もしくはローソンまたはファミマでご購入いただけます。


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津山事件: 都井睦雄の墓 その5

Twitterで「都井睦雄の墓が荒れ果ててしまっている」という情報をいただいたので、現地に再訪しました。

結果から言うと、情報のとおり睦雄の墓がかなり荒れてきてしまっており、このままだとここ数年で竹藪の中に埋もれてしまいそうな感じです。

都井家の墓所です。
都井家墓所都井家墓所

階段というか墓所に上がっていく坂道の右側が都井家本家のお墓、左側が個別のお墓の墓所で、睦雄の墓(倉見川から拾ってきた丸石)は左側にあります。現在の状況としては、おそらく、この墓所の手入れをされている方の高齢化もあり、右側の本家の墓所の手入れに注力することになって、左側の個別のお墓については「そこまで手が回らない」という状況なのでしょう。
左側にあったお墓(墓石)の一部は右側に移設されており、そのことからも、「手が回らないので右側の本家の墓に注力」という、のっぴきならない状況が感じられました。

左側の墓所左側の墓所
左側の、睦雄や両親、おばやんのお墓のある墓所はこんな感じで、後ろの笹藪が侵食してきており、既にお墓自体が笹藪に埋もれていて、あと数年もすれば完全に笹藪に埋もれてしまいそうな感じでした。

睦雄の墓石睦雄の墓石
睦雄の墓石も笹藪に埋もれかけています。

実は、今回、事前に情報を得ていたこともあり、カマや軍手などの草刈りグッズを用意して、多少なりとも睦雄やご両親のお墓の手入れをしようと思っていたのですが、とてもカマで刈れるような太さの笹ではなく、断念しました。残念です。


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津山事件: 現地調査終了報告

IMG_3804都井睦雄の墓(2013年5月)

事件からほぼ75年が経過した5月19日、当日はあいにくの雨でしたが、5名の方にご参加いただいた現地調査が無事終了いたしました。

参加者の方には、近くにお住まいで現地に何度も行ったことがあるという方も多く、不慣れな案内役(当方)の話がどこまで参考になったか疑問ではありますが、前日夜の懇親会を含めて愉しい時間をありがとうございました。

B’z(ボーカル・作詞の稲葉浩志が津山出身)ファンの間で、特定の曲の歌詞が津山事件を念頭に置いて書かれているのではないかという噂があるのは知りませんでした。しかも、当方(本ブログ管理人)、両曲ともカラオケで歌いまくっていて、歌詞を見ないでも歌えるレベルの曲でした(笑)。

参加者の方々へ: 睦雄が自殺した場所の詳細についてはこちらをご参照ください。当日もし雨が降っていなくても、木や草が生い茂っていて上がれなさそうな感じでしたので、晩秋あるいは早春でなおかつ雪のない時期に行くのが一番よさそうです。上記の記事で訪問したのは2月でした。

また機会がありましたら、是非ともよろしくお願いします。

   

津山事件: 増補改訂版補遺 その1

今回の増補改訂版をご購入いただいた読者の方からご質問をいただいています。それを見て、かなり重要なことを書き忘れたことに気が付きました。

一番重要なのは、「おばやん(筑波本の仮名で言う都井イネ)が睦雄の父の本当の母親ではないとすると、本当の母親の墓はどうなっているのか?」というご質問だと思います。

これはかなり深く議論が必要な内容だと思います。これを書き忘れていたのは増補改訂版をご購入いただいた方に申し訳ないので、ご購入いただいた方限定でパスワード制限した形で別エントリを立てさせていただきます。内容はこちら。
パスワードは以下の通りです。(いずれも同じ文字列です)

  • 『津山事件の真実 増補改訂版 付録付き版』78ページの最初の3文字
  • 『津山事件の真実 増補改訂版 付録なし版』76ページの最初の3文字

 

津山事件: 都井睦雄の墓 その4

IMG_1937雪をかぶった睦雄の墓

久しぶりに津山事件に関する現地行を実施しました。というか現在まだ現地のそばの湯郷温泉にいます。昨日は、ときおり吹雪に近い雪が降る中、都井睦雄の墓を訪問してきました。上の写真は雪をかぶった睦雄の墓です。

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津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その3

前回エントリで、「結核で1年の間に家族3人が亡くなるものか」という疑問を提示しました。また、コメントでも、「実は死因はインフルエンザだったのではないか」というご指摘をいただきました。

私も、睦雄の両親と祖父の死因が結核ではなくインフルエンザだった可能性があると思っています。ただし、3人ともインフルエンザとすると、逆に今度は3人の死亡日が離れすぎていると思います。というわけで、最初の祖父はインフルエンザで、それが両親にうつって(もしかしたら、父親が軍隊で結核をもらってきて保菌状態だったのかもしれません)抵抗力が落ちて結核を発症、インフルエンザの影響もあって急速に悪化して亡くなったのではないかというのが現時点での推測です。その意味では、筑波本も合同新聞も間違ってはいない、と。

いずれにしても、1年以内に近親者3人を亡くしたおばやんのショックは大きかったでしょう。後年、睦雄が中学に入りたいと言ったときに「わしを置いていくのか」と反対したのも、夫と息子夫婦が相次いで亡くなった後に、ガランとした家にとり残された経験というか、トラウマが原因だったのではないかと思います。

睦雄の両親だけでなく祖父もほぼ同時期に亡くなっていたことを知ったときに個人的に衝撃的だったのは、以上のようなことを考えたことが理由です。中学に進学できなかったことは睦雄が津山事件を起こした理由の一つでもありますし、そもそも祖父と両親が健在なら、睦雄も山奥の中農の跡取りとして幸せな暮らしができただろうと思います。家族の不幸な歴史が、事件に向かって一直線に収束していくような、そんな錯覚も覚えます。

津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その2

mutuo_grandpa祖父の墓碑

筑波本では「父方の祖父はすでに六十二歳で亡くなっていた」としか書かれていませんが、墓碑銘によると実際には祖父が亡くなったのは大正7年(1918年)7月でした。つまり、都井家では

  • 祖父: 大正7年7月18日
  • 父: 大正7年12月21日
  • 母: 大正8年4月27日

と、1年足らずの間に相次いで3人が亡くなったことになります。

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