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津山事件: 都井睦雄が自殺した場所 その2

2010 年 2 月 20 日 土曜日

前回エントリで書いた場所が睦雄が自殺した場所ということでほぼ確定だと思うのですが、一つだけ気になることがあります。コメントの方に書かせていただいた、事件の翌年の5月に岡山地検の中垣検事が現地を訪問したレポートには、実は続きがあります。

麓で教わった場所も来てみると頗る漠然としていた。数尺、積み重なった杉の病葉を踏みしめ、灌木の繁みを分けて、それらしき処へ出て見た。そこからは貝尾の部落は一望の下にあった。遥かに西加茂小学校も俯瞰し得る。犯人の生地加茂町倉見も見えるとのことだが、わたしたちにはよくわからなかった。

IMG_1979-1仙ノ城山頂からの眺め(拡大)

ところが、上の写真で「山頂」から見える2つの学校は加茂小学校と加茂中学校で、旧加茂西小学校(現在のウッディハウス加茂の場所)は山の向こう側になって見えません。

なお、1975年(昭和50年)に加茂小学校と統合された加茂西小学校が現在のウッディハウス加茂の位置にあったことまでは、加茂小学校に直接問い合わせて確認しましたので確実です。昭和13年の西加茂尋常高等小学校が統合直前の加茂西小学校と同じ位置だったかどうかについては現在のところ確認する方法がなく未確定ですが、常識的に考えるとおそらくは同じ位置であろうと思います。

kamochuushinbumap国土地理院2万5千分の1地図: 昭和51年発行

上の地図は、発行は昭和51年ですが現地調査は昭和48年とのことで、昭和50年に統合・廃校になった小学校が地図上に残っています。「山頂」からの写真と見比べてみていただけるとわかるように、加茂西小学校は手前の山のちょうど向こう側になって「山頂」からは見えないことになります。

上の地図でわかるように、昭和40年代まで加茂の中心部にはやたらとたくさん学校がありました。そのあたりの経緯はこちらのページに詳しく説明されています。ただし、その記述によると戦前の加茂小学校はいったん廃校になって中学校になったようなのですが、現在の加茂中学校は旧東加茂村地域にあり、どうもその辺がよくわかりません。ちなみに、現在の福祉センターや郷土歴史資料館があるあたりには(新制)高校もありました。おそらく昭和29年に加茂高校として設立され、津山東高校加茂分校に再編後昭和60年に廃止(津山東高校へ統合)されています。

話を元に戻すと、一番ありそうなのは加茂小学校を西加茂小学校と見間違えたということです。中垣検事が加茂を訪れたのはこのときが初めてのようですので、この山間の町にこんなにたくさん学校があるとは思わなかったのでしょう。

津山事件に関する本はこちら

 

津山事件: 都井睦雄が自殺した場所

2010 年 2 月 14 日 日曜日

昨日ふたたび荒坂峠を訪問しました。その気になったのは、「加茂の三十人殺し」Webページの記事がきっかけです。

前回は目が節穴で気がつきませんでした、先ほど居た青いビニールシートの小屋が見える!
貝尾部落もばっちし見えます。(肉眼でも地理に詳しければなんとなくわかる)
睦雄はここより高い山頂で眺めたし当時木も雑木で低いはずだし懐中電灯の灯りなら確認できるはず。
まして坂本(元)部落は手前で近く岡田家襲撃現場はよく見え電気もついているし騒ぎ声も聞こえたでしょう

前回の経験から木々の芽が吹き草花が生えるてしまえば景色どころか山歩きもしにくくなる。
今の現状はハゲ山状態に近く前回から心残りであった山頂達成が容易であると考えたからです。

前回と同じく右わきの登り道へ。本日はこの山の頂上まで行きました。
途中から山頂までは以前からあったような窪んだ道がありますがイバラ道で歩きにくく横上道から
登りました(お地蔵様設置場所から10分位で山頂へ)

これを読んで、以下の2点を確認したいと思って現地(荒坂峠)に赴きました。

  1. 荒坂峠からも貝尾が見えること
  2. 道路の頂上付近にあるお地蔵様の横から、上の方に登れること

特に1.に関して、私は荒坂峠から貝尾は見えないと思っていたので意外でした。ページにある写真でも確かに貝尾部落が見えていますので確実とは思うのですが、自分の目で確かめないと気が済まない性分なもので。

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お地蔵様

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お地蔵様の横から上がる道

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道は途中で一度、完全に草と木にふさがれてしまっています
(注)春以降はここより上に行くことはかなり難しいと思われます。特に、事件が起きた5月頃に現地行きを企画している方は、チェーンソーでも装備して草木を切り開く必要があるでしょう。そもそも今の季節でもかなり危険なので、よい子の皆さんは(悪い大人の皆さんも)マネをしないでください。何らかの損害を被った場合でも本ブログ管理人は一切責任を負いません。

IMG_1964 IMG_1965
突破すると開けた場所に出ます。上のWebページで「頂上」と表現されているのはこの場所と思われます

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念のためさらに奥に行ってみると、小高い台地になっているところが見えました。これが「仙ノ城」山頂かな?

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さっき見えた「山頂」に何とかたどり着きましたが、実は後ろにもっと高い場所がありました。しかしさすがに体力が続かないので、とりあえず先ほど見えていた手前の台地に登りました。麓からずっと走って登ってきた睦雄の膂力に、改めて感嘆した次第です

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この「山頂」はほぼ平らになっています。「山頂眺望好き場所にして小松雑木等繁茂する中間の約十坪(引用注、約30平米)くらいの雑草地」という検視調書の描写にほぼ合致していると思われます。もしかしたら、後ろ側のもっと高い場所にもこういう見晴らしがいい場所があるのかもしれません

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「山頂」からの眺め。「眺望好き」というにふさわしい絶景です
「おーれはー かわーらーのー かれーすーすきー」と口ずさみたくなります
ちなみに、登りはじめのお地蔵さんは右下の森のさらに下の方になります

IMG_1974
上の写真の右の方をズームして撮影。確かに貝尾が一望できます
「加茂の三十人殺し」ページ内のこちらの写真と見比べると、見下ろす角度の違いがわかると思います

IMG_1979
現地で見たときはこの奥が倉見ではないかと思ったのですが、方角や見えている建物から考えて知和方面のようです。その先には物見や阿波があり、物見から智頭経由鳥取方面につながっています

IMG_1978
睦雄や父母の墓がある倉見は方角的にはこの写真のもう少し左の方。やはりここからは見えないと思われます

というわけで、以前書いた「荒坂峠の山頂から貝尾は見えない」というのは間違いでした。ここにお詫びして訂正させていただきます。

この台地が睦雄が自殺した場所である可能性はかなり高いと個人的には考えています。津山事件の現地行を始めて3年。ようやくここまでたどり着いたか、と柄にもなく感慨に浸ってしまいました。

今回の現地行のきっかけをいただいた加茂の三十人殺しサイト管理人様に、改めてお礼を申し上げます。

津山事件に関する本はこちら

 

津山事件: 都井睦雄の墓 その4

2010 年 2 月 13 日 土曜日

IMG_1937雪をかぶった睦雄の墓

久しぶりに津山事件に関する現地行を実施しました。というか現在まだ現地のそばの湯郷温泉にいます。昨日は、ときおり吹雪に近い雪が降る中、都井睦雄の墓を訪問してきました。上の写真は雪をかぶった睦雄の墓です。

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津山事件: 都井睦雄の進学先 その2

2009 年 9 月 13 日 日曜日

一昨日のエントリにて、睦雄が「岡山一中に進学する」と言って祖母に反対された件について、疑問点をまとめました。

実は、一番の疑問点は、なぜ筑波昭さんがこの記述をしたのか、というところにあります。

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津山事件: 都井睦雄の進学先

2009 年 9 月 11 日 金曜日

先般、当ブログへのコメントで「岡山一中ではなく津山中なら自宅からも通えたはず」というご指摘をいただきました。

実は、mixiにて同様の指摘を読んで「なるほどなあ」と思っていたところでもあり、今回は取り急ぎその点をとりあげてみたいと思います。

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津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その3

2009 年 9 月 7 日 月曜日

前回エントリで、「結核で1年の間に家族3人が亡くなるものか」という疑問を提示しました。また、コメントでも、「実は死因はインフルエンザだったのではないか」というご指摘をいただきました。

私も、睦雄の両親と祖父の死因が結核ではなくインフルエンザだった可能性があると思っています。ただし、3人ともインフルエンザとすると、逆に今度は3人の死亡日が離れすぎていると思います。というわけで、最初の祖父はインフルエンザで、それが両親にうつって(もしかしたら、父親が軍隊で結核をもらってきて保菌状態だったのかもしれません)抵抗力が落ちて結核を発症、インフルエンザの影響もあって急速に悪化して亡くなったのではないかというのが現時点での推測です。その意味では、筑波本も合同新聞も間違ってはいない、と。

いずれにしても、1年以内に近親者3人を亡くしたおばやんのショックは大きかったでしょう。後年、睦雄が中学に入りたいと言ったときに「わしを置いていくのか」と反対したのも、夫と息子夫婦が相次いで亡くなった後に、ガランとした家にとり残された経験というか、トラウマが原因だったのではないかと思います。

睦雄の両親だけでなく祖父もほぼ同時期に亡くなっていたことを知ったときに個人的に衝撃的だったのは、以上のようなことを考えたことが理由です。中学に進学できなかったことは睦雄が津山事件を起こした理由の一つでもありますし、そもそも祖父と両親が健在なら、睦雄も山奥の中農の跡取りとして幸せな暮らしができただろうと思います。家族の不幸な歴史が、事件に向かって一直線に収束していくような、そんな錯覚も覚えます。

津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その2

2009 年 9 月 6 日 日曜日

mutuo_grandpa祖父の墓碑

筑波本では「父方の祖父はすでに六十二歳で亡くなっていた」としか書かれていませんが、墓碑銘によると実際には祖父が亡くなったのは大正7年(1918年)7月でした。つまり、都井家では

  • 祖父: 大正7年7月18日
  • 父: 大正7年12月21日
  • 母: 大正8年4月27日

と、1年足らずの間に相次いで3人が亡くなったことになります。

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津山事件: 都井睦雄の祖父母の墓 その1

2009 年 9 月 4 日 金曜日

mutuo_grandparents祖父母の墓

mutuo_grandpa祖父の墓碑

mutuo_grandma祖母の墓碑

都井睦雄の祖父母の墓です。

睦雄の墓である丸石の写真で、一番奥に写っている墓になります。

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津山事件: 都井睦雄の両親の墓

2009 年 9 月 3 日 木曜日

mutuo_parents都井睦雄の両親の墓

mutuo_father父親

mutuo_mother母親

前回のエントリで、睦雄の墓である丸石の隣に両親の墓があると書きました。本日の写真はその証拠です。

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津山事件: 都井睦雄の墓 その3

2009 年 9 月 1 日 火曜日

mutuo_haka_3都井睦雄の墓(ほぼ確定)

以前のエントリ(12)では、睦雄の墓がどの石なのかいくつか説があって、どれが本当の睦雄の墓かわからないと書きましたが、おそらく上の写真の左手前に写っている丸石が睦雄の墓ということでFAと思われます。

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