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狭山事件: 野球の試合とA先生証言

2011 年 3 月 21 日 月曜日

前回のエントリで、伊吹さんがインタビューしたH氏、当時証言したOTくんとも、まだ野球部を引退していなかったのに、当日は試合に出るためではなく見るために東中へ向かったと証言しています。堀兼中野球部の部員数は不明ですが、当時の堀兼中は1学年3クラスのこぢんまりとした中学であり、3年生が2人もベンチ入りもできないほど競争が激しかったとも思えません。つまり、当日堀兼中学野球部は試合がなかった可能性がかなり高いと思います。

そうなると、A先生の証言の信憑性が疑われてきます。
まず、A先生の証言を確認しましょう。ただし、ご存じの通り、A先生は公判の証人としては呼ばれていないため、野間宏さんの『狭山裁判』から、野間さんの取材に対してA先生が話した内容の引用です。

)はこの日、県の体育大会の野球の試合が三時半にあり、それに間に合うように生徒を引率して、三時前後、この第二ガードの前を通りかかった。そして、ガードの入り口の向かって左側のところに、うつむき加減に立っている()を見つけた。
普段とは様子がちがう。ふだんの(被害者)さんなら、元気で、むこうから声をかけてくるはずである。「どうしたの」とこちらから声をかけた。するとはにかんで、足で石をつつくような仕草をした。そして何もいわない。言葉はかえってこなかった。いつもなら、はっきりと「……してるんです」というほうであるのに、なんの返事もなかった。その仕草で誰か人を待っていたのかなと、わたしには考えられると、(A先生)はいった。

(中略)

(A先生)はガード下の(被害者)さんをそのままにして、時間におくれないようにと試合場に向かった。雨がぽつぽつ降りだし、シートノックをはじめたら、雨で試合は不可能であると中止に決定、ふたたび生徒を引率して三時半頃、帰りにそこを通ったのだが、すでに(被害者)さんはそこにはいなかった。

このA先生の証言が事実でないとすると、狭山事件の真犯人推理という点からはかなりオオゴトになります。

  • 第二ガードでの被害者の待ち合わせがなかったことになると、目撃証言のつなぎ合わせによる被害者の足取りが全く異なってくる
  • A先生はなぜそのようなウソをついたのか。伊吹本にもあるように、A先生は上記の内容を事件の翌日(5月2日)には同僚の先生に話しており、その時点で記憶違いが発生するとは考えられない。そうなると故意のウソということになるが、なぜそのようなウソをついたのか。さらに、事件から12年たった時点の野間氏のインタビューに対しても同じウソを続けたのはなぜか。
  • 実際のところ、A先生証言はどこまで信頼できるのか。全部がウソなのか、一部だけがウソなのか。

まずは、A先生の証言がどこまで信頼できるのか、から考えてみたいと思います。A先生証言を分解して考察してみます。ただし、この考察は現時点での私の個人的な考えです。

  証言 考察
1. 県の野球試合に出場するために これはほぼ確実にアウト。試合がなかったことは現時点ではほぼ確実といっていいと思います。しかし、「シートノックをはじめたら」など奇妙に具体的な描写もあり、A先生の意図がどこにあるのか、微妙なところです。
2. 野球部の生徒を引率して 少なくともH氏とOTくんの2人は先生と同行していなかったことを証言しています。しかし、彼ら以外の生徒がA先生に同行していた可能性はまだあります。私の脳内妄想的可能性としては、A先生は「とりあえず一度は東中に試合を見に行け。もし先生と一緒に行けるなら一緒に行け」と野球部員に通告していて、下級生は素直に先生に引率されたが、3年生は既に敗退していたこともあってアホらしくて遊んでから個々に遅れて東中に向かったという可能性を考えています。
3. 三時前後に この時間にも疑問が残るところです。決勝戦が終わったのは遅くとも3:40頃と思われ、3時に第二ガードを通っていたのでは試合の後半しか見ることができません。
4. 第二ガードで被害者と出会った A先生証言の中核となる部分です。もしこれが事実でないならば、A先生証言には何の意味もないことになり、全部を無視してかまわないことになります。しかし、しつこいようですが、A先生は事件の翌日に事件のことを聞くと、すぐに同僚であるY先生に被害者に会ったということを話しており、伝えられるA先生の性格からも、たとえば目立つためにこういうウソを言ったということは考えにくいと思います。そもそも、目立つためにこのようなことを言い出したのであればその後マスコミ等に売り込みに行くはずですが、そういった動きも見られません。
5. 雨で試合が中止になり、三時半に 3.と同様に、この時間経過は多少疑問が残ります。記録によると、3:26~3:39まで小雨が降ったようですがすぐやんでおり、その後4:20に本降りになるまでの間はほとんど雨が降っていません。
6. 学校に戻る途中には第二ガードに被害者はいなかった 4.と同様です。

要約すると、試合があったこと、生徒を引率していたことは事実ではなさそうですが、だからといって第二ガードで被害者に会ったことまで否定するのは尚早ではないかというのが現時点での私の考えです。

 

狭山事件: 堀兼中野球部員の証言

2011 年 3 月 5 日 土曜日

身辺多忙のため、放置状態になったり変な英文が上がったりしていて申し訳ないです。

コメントの方で当日の野球試合と被害者の足取りについて、伊吹さんにいろいろと解説をしていただいています。その議論についてまとめる前に、前提となる情報として伊吹さんから当時の堀兼中野球部員にインタビューをした証言をいただいていますので、まずそれを掲載させていただきます。

以下は、事件当時堀兼中3年生で野球部員だったH氏に対して、伊吹さんが2010年12月17日にインタビューした内容です。本件、実は昨年末に伊吹さんからいただいていたのですが、取扱に迷っていたのとちょっと身辺多忙だったため掲載が遅くなりました。お詫び申し上げます。

  • 事件の日、堀兼中野球部は試合の予定はなかったと思う。
  • 自分もその日は東中に出かけたが、何のために行ったのかは全く覚えていない。
  • A先生と一緒に(引用注、東中に)出かけたわけではない。
  • (「第二ガード証言」の話を聞いた後で)A先生がすぐにバレるようなウソをつくとは思えない。A先生が「試合のために東中に行った」と行っているのなら、或いはそうなのかもしれない。
  • (「A先生証言によれば当日の堀兼中の試合開始予定は3時半だった」という説明を聞いた後で)3時半から試合開始というのは遅すぎると思う。
  • OTや自分は当時3年生だったが、夏前なのでまだ部活は引退していなかった。
  • 当日のことは時間、天候等について何も覚えていない。
  • インターネットで、自分と他の野球部員2名が堀兼中校長宅で警察に事情聴取されたことになっている話を見たが、それを見ると「そういうこともあったかな」という感じ。警察に何かを聞かれたという記憶はある。自分を含めた3名だけが呼ばれた理由はわからなかった。
  • 警察には、「東中に行く途中」ではなく「帰り道で被害者に会わなかったか」と聞かれたと思う。
  • 警察に話を聞かれた他の2人のうち、1人はもう亡くなっている。1人は川越に転居している。
  • 被害者のことはもちろん事件前から知っていた。たかだか100人程度、3クラスの学校で小中ずっと一緒に過ごすのだから、ほとんどの人のことは自然に覚えてしまう。被害者は学校でも目立つ存在だった。
  • 当時、駅方面に出かけたこともほとんどなかった。事件の日にどの道を通って東中に行ったのかも記憶していない。
  • 事件後も学級内や野球部内で事件のことが話題になったことはなかった。
  • ただ、校庭がヘリコプターの発着場になったのでみな騒いでいた。友人とそれを見に行った思い出はある。

この中では、「OTや自分は当時3年生だったが、夏前なのでまだ部活は引退していなかった」という証言が最も重要でしょう。事件当日の細かいことは忘却の彼方であっても、こういう大きなくくりでの日程感は年数が経っても間違えようがないと思います。まだ引退していなかったH氏が事件当日に試合をした記憶がないこと、同じく現役野球部員だったOTくんも、試合をするためにではなく試合を見るために遅れて東中に行っていることから、当日堀兼中は試合がなかったことはほぼ確実と言ってよいと思われます。そうなると、A先生の証言の、少なくとも一部については信憑性に疑問符が付くことになります。

 

津山事件: 冬コミ告知 その6

2010 年 12 月 26 日 日曜日

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たびたびすいません。今回で本当に告知は最後です。
本が出来上がってきました。感慨深いものがあります。読み返すといろいろ修正したいところもありますが、それはまた次回以降の課題ということで。

以下、今回追加した論考の一部です。

第3章 都井睦雄
小学校入学以前
 都井睦雄の戸籍謄本を「」から引用しておく。
 戸籍によると睦雄は大正6年(1917年)3月5日に加茂町倉見で生まれたとされている。という言い方をするのは、当時の戸籍の届け出はかなり適当だったようであるからだ。例えば睦雄の父母の死亡年月日も、後で詳しく論ずるが墓石の記載と戸籍の記載に食い違いがある。
 私が個人的に睦雄の出生日に多少の疑義を感じるのは、例の「小学校の入学を1年遅らせた」という話にある。「津山事件報告書」には、小学校の担任教師のコメント一覧が掲載されているが、尋常小学校一年生で睦雄を担任した藤田かや子教諭をはじめ、誰も1年遅れという点に触れていない。また、西加茂尋常高等小学校校長からの公式回答にも「就学が1年遅れた」という記載がない。もし筑波本にあるように祖母が無理に1年就学を遅らせたのであれば特筆されるのではないかと思う。

コミックマーケット79
場所: 東京ビッグサイト: ゆりかもめ「国際展示場正門前」駅またはりんかい線「国際展示場」駅下車
出展日: 12月31日(金)(3日目)10:00~16:00
東Q-50b「事件研究所」

販売物:

  • 『津山事件の真実(津山三十人殺し)』事件研究所編著
    A5版350ページ、販売価格3,900円
    付録: 津山事件報告書(昭和14年、司法省刑事局編著)
  • 『狭山事件-46年目の現場と証言』伊吹隼人著(風早書林)
    販売価格1,000円(委託販売)
  • 『決戦―豊島一族と太田道灌の闘い』葛城明彦著(増補改訂・自費出版版)
    販売価格1,000円(委託販売)

津山事件: 冬コミ告知 その5

2010 年 12 月 19 日 日曜日

ようやく脱稿しました。何とか間に合いそうです。最終的に全350ページになります。うち、付録である津山事件報告書の方が240ページ以上を占めています(笑)。

同じブースにて、下記の2点を受託販売します。

  • 伊吹隼人著: 狭山事件-46年目の現場と証言(風早書林)
  • 葛城明彦著: 決戦―豊島一族と太田道灌の闘い(自費出版版)

前者は言わずとしれた「」の旧版です。新刊(社会評論社版)の方が増補された部分がありますので、今から新規で買うのであればもちろん新刊の方をオススメしますが、まあコレクターズアイテムということで。後者はそのつながりでご紹介をいただいた、同じ出版社(風早書林)から出ていた別の著者の本の、自費出版版です。Amazonなどでもかなり評価が高いようなので、歴史に興味がある方は是非ご確認ください。いずれも特別価格1000円にて販売予定です。

念のため、最終告知です。
コミックマーケット79
場所: 東京ビッグサイト: ゆりかもめ「国際展示場正門前」駅またはりんかい線「国際展示場」駅下車
出展日: 12月31日(金)(3日目)10:00~16:00
東Q-50b「事件研究所」

『津山事件の真実(津山三十人殺し)』
A5版350ページ、販売価格3,900円
付録: (昭和14年、司法省刑事局編著)

コメントの方でご質問をいただいた通販に関しては、現在検討中です。決まり次第告知します。いずれにしても年明け以降で、かなり時間がかかるかもしれませんので、あらかじめご了承ください。

 

その他: 伊吹氏の新連載開始

2010 年 11 月 2 日 火曜日

伊吹隼人氏の新連載が、なぜか「ナックルズ」本誌ではなく「ナックルズ・ザ・タブー」の方に掲載されたとのことです。
ちなみに、「ナックルズ・ザ・タブー」はナックルズ本誌とは異なりB5変形版(ナックルズ本誌より小さい)なので、書店で探すときは注意してください(私も見つからなくて迷いました)。

13歳の少女の「失踪」事件に関するルポです。伊吹氏のルポ自体はいつものとおりの伊吹節なのですが、編集の方で「こういう事件を起こす奴がいるから児童ポルノが厳しくなる」という形で児ポ法関連特集記事の中にはさみ込まれていて、正直ちょっと違和感があります。
現在の児童ポルノ法改正案の問題点は、いわゆる「非実在青少年」が描かれた作品、ならびにその単純所持を罰するかどうかという点にあるわけで、13歳の実在の少女を誘拐する事件とはいわば無関係です。まあ、そういう理論付けをするまでもなく、特集の中でちょっと異質になってしまっているのは一読して明らかですが。

繰り返しになりますが、伊吹氏のルポ自体は、現地での取材を含めたかなりの力作だと思います。ここで詳細を書くのは差し控えますので、機会があればご一読ください。

その他: 伊吹氏の新連載

2010 年 10 月 11 日 月曜日

伊吹隼人氏が、「実話ナックルズ」で新連載を始めるとのことです。

タイトルは「消えた少女たち」。

行方不明になった少女たちと、その帰りを待ち続ける家族を追ったノンフィクションです。

とのことですので、是非ともご覧になってみてください。

実話ナックルズ

狭山事件: 鎌田本文庫化

2010 年 4 月 11 日 日曜日

本件、こちらのコメントで教えていただきました。

2004年の鎌田慧さんの本『狭山事件-石川一雄、四十一年目の真実』が岩波現代文庫から再版されるとのことです。個人的には、この本が岩波というメジャーな出版社から再版されることで、再審へ向かっての世論の関心がさらに高まることを期待します。

これまで何度も取り上げていますが、「狭山事件」という用語には大きく分けて2つの意味合いがあります。

  1. 昭和38年に起こった女子高生殺人事件
  2. その殺人事件の容疑者として石川一雄さんが逮捕され、有罪とされた冤罪事件

「狭山事件を推理する」サイトでも取り上げられている通り、伊吹さんの新著を上記1.の方面からの最高峰とすれば、鎌田本は2.の方面からの一つの到達点と言えるでしょう。もし「狭山事件」について何も知らないという方がいて、事件の概要を知りたいということであれば、この2冊を読めば全体は見えると思います。

本の性格から考えてあとがきを含めた加筆部分はそれほど多くないと思いますが、単行本の版元であった草思社が民事再生になったこともあり、事件に興味はあるがまだこの本を読んでいないという方がもしいらっしゃれば、一度目を通しておいて損はないと思います。

 

狭山事件: 新伊吹本: 被害者の呼び出しについて

2010 年 3 月 6 日 土曜日

新・伊吹本を読みました。

旧版と比べてかなり加筆がされています。ページ数も213ページから271ページへ、27%アップしています。ただし、文字組が変わっていますので、文章量としてはそこまで増えていない感じです。感覚的には15~20%くらいの増量かな?

大きな加筆部分は下記の通りです。

  • 被害者の日記
  • 被害者の呼び出し
  • インタビュー
    • 安田先生(2回目)
    • 死体の第一発見者2人(1人は本人、1人は奥様): どうして「第一発見者」が2人いるのかについてはこちらこちらを参照してください
    • その他、近所の住民数人

特に大きなトピックとして、「本物の」第一発見者のインタビューがあります。場合によっては石川一雄さんの裁判にも影響があるかもしれない内容です。ここで内容について詳しく書くのは差し控えますので、興味がある方は直接本をご参照下さい。

もう一つのトピックは、被害者の呼び出しについてです。犯人が被害者にどうやって最初の待ち合わせを伝えたかについては、これまでの推理本ではあまり重視されていませんでした。長兄犯人説が主流であったため、家で直接話をすれば済む、という考えだったこともあるかと思います。また、刑札・検察は石川さんの通りすがりの犯行というシナリオを書いてしまったため、そもそも待ち合わせを想定していません。
しかし、当日被害者が誰かと待ち合わせしていたことは各種の証言からほぼ間違いないと思われ、その上で外部に犯人がいるという立場に立つと、犯人(あるいは犯人グループ)がどうやって被害者に待ち合わせの日時を伝えたのかというのはかなり大きな問題になります。

昭和38年当時、当然ですがケータイなどというものはありませんし、インターネットの掲示板もケータイメールも、もちろん出会い系もありません。自宅に有線電話はありましたが、そこへ電話して被害者自身が出るとは限りません。被害者に限らず女子高生は暗くなる前に家に帰るのが当たり前(というより当時、途中の道には街灯もなく、暗くなると大げさでなく家に帰れないような場所でした……このあたりは新伊吹本の安田先生のインタビューを読むとよくわかります)でした。そうなると、家の外で待ち合わせの計画を伝えられる場所と機会は自ずと限られてきます。

すいません。この先を書き始めたら思ったより長くなりそうなので、日を改めてまとめさせていただきたいと思います。
一つだけ書いておくと、私の推理は伊吹氏とは多少(それほど大幅にではありませんが)異なります。

狭山事件: 伊吹本改訂版発刊

2010 年 2 月 21 日 日曜日

伊吹隼人氏の改訂版『検証・狭山事件―女子高生誘拐殺人の現場と証言』が発刊されたとのことです。

まだ私も内容を確認していませんが、伊吹氏から伺った限りでは新証言を含むかなり大幅な改訂がされているとのことであり、狭山事件に興味がある方は是非ともご購読ください。

狭山事件: 伊吹本再版へ

2009 年 8 月 11 日 火曜日

狭山事件を推理する-近況告知板にて、『狭山事件-46年目の現場と証言』が再版される旨の告知がありました。まずはご同慶の至りです。

12月予定とのことです。初版の発行日が2009年2月25日でほとんど書店に出回らずに絶版になってしまったため、ほぼ1年ぶりの再版ということになります。内容的にも増補が行われるとのことで、特に「新証言」に関しては本邦初公開になると思いますので、事件に興味がある方は是非読んでみてください。