下山事件: pH計について その4

『法医学の話』岩波文庫、古畑種基著『法医学の話』岩波新書、古畑種基著

測定の精度をこれまで問題にしてきましたが、では、pH測定で精度が出ないとどのような問題があるのでしょうか。

秋谷教授のpH測定による死亡時刻推定については、すでに下山事件自殺説紹介ブログさんの方で詳細な紹介があります。要するに、秋谷教授の下で実際に実験を担当していた塚元助教授(当時)ですら「あの方法はダメですよ。問題にならないですね」と断言するシロモノだったということです。

にもかかわらず、秋谷教授自身ならびに古畑教授は「20分以内の精度で死亡時刻推定が可能」と断言しています。本当にそうなのでしょうか。手法そのものに対する疑問(他の研究者からの批判)については自殺説紹介ブログさんの記述をご参照いただくとして、ここでは技術的な問題点を論じたいと思います。

本日引用した画像は、古畑教授の『の話』に掲載されていた、下山事件をはじめとするいくつかの遺体の筋肉を実測したpHと「標準曲線」の比較グラフです。右上の「No.1」というのが下山総裁の遺体から取った筋肉の測定結果です。これを見て驚くのは、「標準曲線」として描かれている曲線が、4例ともそれぞれ明らかに違っていることです。特に、この4例の中でNo.1=下山総裁の例のところだけ明らかに違う曲線が描かれています。ぱっと見ると同じ曲線のように見えますが、横軸と縦軸のスケールをよく見ると他の曲線と違っていて、見た目同じ「標準曲線」にするために縦軸・横軸のスケールをいじったことがわかります。

それはそれとして本題に入ると、前回まで書いたように、下山事件当時の秋谷教室におけるpH測定精度は最高でもpH0.2を上回ることはありえず、おそらくはpH0.4程度だったものと考えられます。それと本日引用した「標準曲線」の図を見比べてください。縦軸はpH、横軸は死後経過時間です。ご覧いただければ、pHが0.1ずれただけでも1時間単位で死亡推定時刻がずれるというのがご理解いただけると思います。測定理論自体がたとえ本当に20分以内の精度を持っていたとしても、測定手法の問題だけで4時間の誤差が発生するわけです。

もう一つ問題なのは、下山総裁の例の実測は、標準曲線で最も特徴的な極小点(グラフに書いたときに一番『底』になる点)を含んでいないという点です。No.1のグラフには5個の点がプロットされています。これが実測値であるとすると、pH6.4くらいなところから始まって、pHが増えていくところしかつかんでいないことになります。pHの絶対値で測定可能ということであればこれでも大丈夫でしょうが、実際には絶対値は上下がある(上の4例のグラフだけでもわかることです)中で、主観で最もよく合致するところで重ね合わせるというのがこの測定法のキモになっているために、増えていくところしか測定していない場合にはどのような重ね合わせも可能になります。つまり、増加していく部分しか測定できなかった場合に、それをそのまま「標準曲線」に重ね合わせるのも、「測定誤差や初期値の誤差があると思われる」という主観的な理由で「標準曲線」とズレた部分に持ってきて「死亡推定時刻」を「算出」するのも自由です。要するに、すでに死亡時刻がわかっている時に後付でそのような主観的な重ね方をして「10分の誤差であった」と主張するのも可能であるということです。

実際、No.2のグラフは50歳の父と20歳の娘が親子心中をした例ですが、実測値はかなりのずれがあります。古畑教授はこのNo.2の例でも「実際の死亡時刻と約二○分相違していた」と、死亡推定時刻が20分以内の誤差で当たったように書いていますが、このグラフを先入観なしに見れば父と娘の死亡推定時刻自体が2時間くらいずれていておかしくないわけで、それだけでもとても「科学的な死亡時刻推定」とは呼べないシロモノであることがわかります。

「グラフの上下(切片)については死亡時の環境や筋肉疲労の状況による誤差があるが、極小値は死亡26時間後」ということであるならまだ「科学的」推定法として理解できます。しかし、No.3の例について、「グラフが最もよく重なる」状態を主観的に決定したところ、実測値の極小値は死亡24時間後ということになってしまっています。これで「pH曲線により死亡時を午前1時と判定したが、これは実際の時刻と10分違っていた」と言われて納得する人も珍しいのではないでしょうか。

正直、このあたりは読めば読むほどボロが出るところで、岩波書店が古畑教授の著作を死後絶版にしたのも頷けるところです。

2 thoughts on “下山事件: pH計について その4”

  1. 私のブログの紹介どうもありがとうございます。下山事件と違って、実際の死亡時間が明らかになっていて実験者もそれを知っている場合、特に主観混入の余地のある方法を用いている場合は「答え」引きずられる可能性が高いように思います。No.2などはただ単に誤差が約20分のところまで実験者が引きずられた(意識的にか無意識的にかは別として)だけのような感じがします。

    ところで下山事件のNo.1のグラフの標準曲線が他のグラフのそれと形が大きく違う点についてですが、それぞれの事件当日の温度に合わせた条件でモルモットの筋肉のpHを測定したからという可能性はないでしょうか。ただ、同じ30度で計測されたNo.2、3、4もそれぞれ微妙に形が違うのは何故なのか分かりませんが。年齢はNo.2で20歳と50歳を一緒にしてますから、考慮に入れてないんでしょうね。人間の死亡原因に合わせてモルモットの処分方法を変えていて、それが結果に表れたのか…。秋谷氏の報告によると、モルモットの処分方法によってもpH曲線にはかなりの違いが出るということでしたが、下山事件では古畑氏と桑島氏とで死因に関して意見の食い違いがあったりして、そこらへんをどうしたのか興味があります。古畑氏は満足していなかったようですが、事件直後も鑑定書でも桑島氏はショック死と断定したようなので、どういう方法でかは分かりませんが、モルモットもショック死させたんでしょうかね。

  2. 確かにNo.1だけ25℃になってますね。見落としていました。ただし、釈迦に説法かとは思いますが事件が起こった時点では激しい雨が降っている深夜だったため、気温は21℃でした。解剖が終わって筋肉が秋谷教室に引き渡され、実験を開始した後は25℃に管理されていたようですが、それ以前の温度は管理されていなかったと思われます。

    念のため時間経過を整理すると、

    • 遺体発見:6日0時30分
    • 遺体が東大法医学教室に運ばれる:10時30分
    • 解剖開始:13時40分
    • 解剖終了:17時12分

    従って、遺体が発見されてから少なくとも13時間、おそらくは16~17時間程度は恒温槽による温度管理はなされませんでした。深夜時点では21℃だったことは上記の通りですが、その後は夏のことなのでかなり温度が上がったことも考えられ、いずれにしても25℃で一定していたわけではないことは確かです。

    また、これも釈迦に説法な上に佐藤一氏がすでに指摘した内容ですが、古畑教授は解剖中に秋谷教授に筋肉の一部を渡したと書いています。上記のように解剖が終了したのは7月6日午後5時12分(れき断からほぼ17時間後)ですので、遅くてもれき断から20時間後(秋谷教授が主張するようにれき断の1~2時間前に死亡していたとすると死後22時間)くらいには実験データが始まっていてもよさそうなものです。しかし、実際には30時間以上経過した時点から実験データが始まっていることになっています。このような重大事件ですから、筋肉は一応もらったけど終業時間になったので家に帰ってぐっすり寝て、翌朝になって実験した、ということもないでしょう。このあたりも謎というかデータの信憑性を疑わせるところです。

    ショック死について。当方、医学の専門家でないので「ショック死」というのがイマイチよくわかりません。モルモットをショック死させるにはどうすればいいんでしょう。睾丸を蹴り上げればおkなんでしょうか(笑)。

下山事件自殺説紹介ブログ管理人 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です