下山事件: pH計について その2

以前ちらっと書いた計に関するお話を、当時実際に秋谷教室に出入りしていた方から直接聞くことができましたので、記録として残しておきます。

こういう「直接の経験者からの聞き取り」というと、「私の大叔母が……」という話といっしょで、本当かどうか確認しようがないという批判が出るかもしれません。しかし、この方は上場企業の現役会長であり、EDINETあたりで調べていただければ少なくとも人物の実在についてはご確認いただけるのではないかと思います。

本題に入ると、お話を聞いたのは私の取引先である東証二部上場企業の会長で、Yさんという方です。仕事の関係で訪問した際に直接、以下のような話を伺いました。ただし、以下の文章に関して文責は私(当ブログ管理人)にあります。

  • 当時東京大学の学生だったY会長が講義を受けていると、いきなり「Yくん、ちょっと」と呼ばれた。行ってみると呼んだのは裁判化学教室(秋谷教室)で、Y会長の実家(今の会社の前身)から購入したばかりのpH計が調子が悪いので修理をするように言われた。
  • 修理・調整をする中で、このpH計は死後の筋肉のpH変化を測定するために使われており、その時点では下山総裁の死体ではなく、追試としてモルモットの死後のpH変化を測定していると聞いた。
  • 秋谷教室に出入りするときに、報道陣が出入りしているのを見た。
  • Y会長が東大に入学したのは昭和25年のことなので、上記の話もおそらく昭和25年(下山事件の翌年)のことだったと思う。
  • 当時の技術でも、ガラス電極のpH計は0.1単位のpHを測定可能な精度が出ていた。
  • 当時、試験紙で0.1pH単位の精度が出ていたということはあり得ない。せいぜい0.5単位くらいだろう。

ちなみに、このY会長の会社は日本で最も早期にガラス電極のpH計を商品化した会社の一つで、Y会長ご自身もその開発に関わっており、言ってみれば日本のpH計の草分けとも言える方です。上記の「pH計が調子が悪い」というのはそういった草創期の苦労話であって、現在の同社のpH計はそういうトラブルとは無縁な、世界的にも最高に近い品質のものであるということは申し添えます。いや、取引先だからというわけではなく、かなりマジな話で。

上記のお話に対する考察は次回以降のエントリで。

2 thoughts on “下山事件: pH計について その2”

  1. これは貴重な証言ですね。興味深く読ませていただきました。下山氏自身の筋肉は事件直後しか使えないわけですから、少なくともそのデータに関して言えば、すべて精度0.5程度の試験紙によって得られたということですね…。当時の新聞には「0.2以下は測定不能」とありましたが、実際はそれ以上に感度が低かったと…。

    ところでこのYさんという方は、秋谷氏の死後経過時間推定法の原理や妥当性などについては、何かご意見を述べておられましたか?

  2. Y会長は、同世代に生きた方として下山事件の存在と自殺説・他殺説の対立、ならびに「死後れき断」が争点となっていることはご存じでしたが、生活反応などの法医学的な詳細についてはご存じでないようでした。当方がかいつまんで生活反応のお話をしたところ、「へえ~そういうことだったんですか」とおっしゃっていました。

    pH変化による死亡時刻推定についても、概要の説明を受けただけで理論の詳細まではご存じなかったようです。なので、測定法そのものに関する意見は伺えませんでした。ただ、測定手法として、「電極の精度であれば可能かもしれないけど、試験紙じゃダメでしょうね。精度が全然違う」ということでした。

    ちなみに、死後のpH変化のグラフ(標準曲線)は当時見せてもらったそうで、「なつかしいねー」とおっしゃってました。

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