狭山事件入門: TN

朝日新聞 昭和38年5月13日付朝刊朝日新聞 昭和38年5月13日付朝刊

狭山事件において、2番目の変死者が5月11日に「自殺」した(当時31歳、狭山市柏原新田在住)です。

TNの「自殺」の状況は下記の通りです。

  • 5月11日午後8時すぎ、台所で夕食の後片付けをしていた奥さんがうめき声がするので奥の間に行ってみると、TNが鶏を殺す時に使う刃先が三角形にとがったナイフで胸を一突きにしてうつ伏せになって死んでいた
  • TNのすぐ横にはもうすぐ2歳になる子供が眠っていた
  • 隣の部屋ではTNの父が茶を飲みながらテレビを見ていた
  • ナイフはもともと台所にあったもので、奥さんはいつ持ち出したか気がつかなかった
  • 通常、刃物で自殺する際にはためらい傷が見られることが多いが、そのようなためらい傷は一切なかった
  • 胸を刺す際にはナイフをうまく横にして入れなければ肋骨に引っかかってしまって心臓まで刺さらないが、一突きで心臓を刺し貫いていた。
  • 新聞には、刑札の捜査結果として「市議選問題でさる1日ごろから悩み神経衰弱気味だった」と書かれたが、の証言ではそのように選挙に深入りしていたことはなかった

この「自殺」がなぜ狭山事件と関係づけられているかというと、TNが「犯人を目撃したかもしれない」と刑札に届け出ていたからです。

  • 事件当日(5月1日)、所用で堀兼にある兄嫁の実家を訪ねた帰り、腹具合が悪かったのでやげん坂の林の中で自転車を停めて用を足して立ち上がったところ、目の前に三人連れの男が通りがかった
  • そのとき、付近に男達の車もあった
  • 事件が騒がしくなった6日か7日頃、1日の出来事を思い出して刑札に届け出るために捜査本部に出かけた
  • 好意的情報提供のつもりだったが、当日の夜ふらふらになって戻ってきて、「犯人扱いされてきつく調べられた」と言って寝込んでしまった
  • 次の日は逆に呼び出しを受けて出頭したが、帰りには乗っていった自転車に乗る気力もなくなって刑札のジープで送られてきた
  • 「おれは犯人じゃない」「刑札ってとこはこわいところだ」とつぶやきながら寝込んでしまい、それから2~3日ノイローゼ状態だった

TNが刑札に目撃を届け出た6日・7日は、OGが自殺して篠田国家公安委員長から「生きている犯人を8日までにフンづかまえろ」という大号令が出た日です。また、「自殺」した5月11日は、遺体を埋めるために使用されたというスコップ(I養豚場のものとされる)が発見され、刑札が被差別部落に対する見込み捜査へと大きく舵を切った日です。

TNの死については、が口封じのためにTNを殺害したのではないかという推理があります。しかし、それにしてはなぜ夜8時過ぎという時間を選んだのかという謎が残ります。妻は働きに出ており(ゴルフのキャディー)、父親も農業で昼は出かけているため、TNと1歳の息子の2人しか家にいない昼間の方が目的を達しやすいのは明らかです。「自殺である」ことを強調するために、あえて隣の部屋で父がTVを見ていて妻も家にいたこの時間を選んだという考え方もできるでしょうが、それにしてはリスクが大きすぎるのではないかと思います。

私(管理人)の個人的推理としては、刑札内部に真犯人につながる共犯者がいて、TNの目撃証言を撤回させるためにあえて厳しい取り調べを行った。そうしたらたまたまノイローゼになって自殺してしまった、といったところではないかと考えています。

なお、TNを刑札が取り調べた内容(供述調書)は、再三の開示請求にもかかわらず公開されていません。に関する調書類(供述調書ならびに鑑定の詳細)と併せて、早急な公開を望みます。

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2 thoughts on “狭山事件入門: TN”

  1. はじめまして。
    5月5日の「トマトパーティー」に参加させていただいた者です。
    その後、狭山を再び訪れ、OGやTNの自宅(自殺現場)をわたくしの師匠に案内していただき見てまわることができました。
    現地を見て確かな考えを持ったわけではありませんが、OG・TN共に単純な自殺であると考えています。ただ、何物かの黒い影に脅えて有形無形、有言無言の圧迫を受けていたのではないかと・・・。勝手な想像をしています。
    いずれにしろ狭山事件関係者の【自殺】はたいてい奇妙な点が多く頭の中で整理がつく出来事ではないと思っています。

    最後になりましたが、当ブログは私の知らない内容が多く非常にスリリングです。(狭山事件については素人ですが・・・)   今後も期待しています。

  2. コメントありがとうございます。その節はお世話になりました。ちょっと体調を崩していたりリアルの世界で多忙だったりしたため放置状態になってしまい、申し訳ないです。

    「師匠」さんがどういう方なのか興味がありますが(笑)、それはさておきOGやTNの自宅は私も訪問したことがないので今度一度見てこようと思います(ブログ内にも書いたように、当方狭山市内に取引先があるためにちょくちょく狭山には足を運んでいます)。

    OG、TN、IT、次姉、次兄……狭山事件関係者の「自殺」は、どうも割り切れない部分が残りますね。IT以外の4人は自殺だと思いますが、自殺せざるを得ない状況に追い込まれていたのも確かなように思われ、その追い込んだ犯人が誰なのか、どうやって追い込んだのかについてはやはり私もいろいろ想像してしまいます。

    一応、原典主義というか、できるだけ本などで孫引きされた内容ではなく当時の新聞・雑誌の報道にあたるようにしていますので、そのあたりから今まで見過ごされていた内容などを掘り出せればいいな、とは思っています。必ずしも当時の新聞・雑誌の報道が正しいわけではないのがまた困ったものでもありますけど。

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