下山事件: 時代背景 その2

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朝日新聞昭和23年1月23日付

「下山事件は、国鉄の首切りに反対する左翼勢力の勢いを削ぎ、その後の民間企業を含めた人員整理をスムーズに進めるためにGHQ(GS/G2)によって計画された謀略である」という、平成三部作からWikipediaにかけて一般化している見方は、実は根拠がないという話の続きです。

謀略説においては、「ドッジ・ラインによって公務員の首切りがアメリカ(占領軍)から指示されたが、日本国内の左翼勢力が頑強にそれに抵抗した。そのため、下山総裁を殺して共産党(左翼勢力)の仕業に見せかけることで世論の支持を失わせ、一気に首切りを実現していった」という話になっています。

しかし、佐藤一氏の『「下山事件」謀略論の歴史―「原光景」的イメージから「動物化」した謀略論へ』で、このストーリーは根本的に覆されています。

本日の画像は昭和23年1月23日付朝日新聞で報道された、社会党・片山哲首相の施政方針演説です。赤線で囲んだ部分で、明確に「行政機構の整理」を政策として打ち出しています。ジョセフ・ドッジが「経済安定9原則」を勧告したのは昭和24年3月8日ですから、その1年以上前に社会党内閣が公務員の削減を言い出しているわけです。(余談: そもそもドッジ氏は公務員の人員削減を直接的には提言していません。政府の支出は収入に見合ったものにするべきと提言するにとどまっています)

昭和24年の国鉄の人員整理に際して、社会党は全く反対の姿勢を示していませんでした。なぜなら、それは1年前に彼ら自身が打ち出した政策の一環だったからです。また、後で見ますが、共産党も当時はストを抑える方向で動いていました。従って、こと国鉄に関しては、GHQが下山総裁を殺さなくても問題なく首切りは進んだ、というのが当時の客観的状況だったことになります。


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