その他: とらのあな通販再開

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3 thoughts on “その他: とらのあな通販再開”

  1. とらのあなから通販の津山事件の真実届きました。まだ報告書は読めていませんが、筑波さんのインタビューがのれんに腕押しでしたが、検証は意義がある内容でした。その他関連作品が知らないものもあったので探して読んでみようと思います。3年にわたる取材などお疲れ様でした。私は興味を持ち出して日が浅いので、これから現地取材を含めて真実を見極めたいと思います。狭山事件については概要を知っているだけなので購入していませんが、市販の本やネットで調べて興味がでてきたら購入させてもらいたいと思います。それでは体調に気をつけて日々お過ごしください

  2. 石川氏の「津山三十人殺し最後の真相」で寺井マツ子が事前に気がついて5月15日に逃げ出たと書いてあるのは筑波本の記載の影響でしょうか。中村氏年表や、マツ子の供述からすると3月末に貝尾を出たと考えるのが妥当だと思われますが。筑波本の影響甚だしく後世に影響する。中村一夫氏の「自殺」は通販しているところですが保存状態が甚だしく悪いようです。古い本ゆえにしょうがないところでしょうか

  3. お買い上げ&コメントありがとうございます。

    寺井マツ子が逃げ出した日付に関しては、どうやら4月末頃というのが正しそうです。「津山事件報告書」には、逃げ出した日に関して2カ所に記載があります。

    本人(マツ子)供述(報告書 p.199):

    私が津山に来て、京都に来たのは何も睦雄が恐しいので逃げたのではありません。(夫)が前から京都の方へ働きに来てをり、私も胸の神経痛で岡山の方では医師の都合も悪く津山の簡易保険の医師に診て貰って、それから子供の学校が四月から都合が良いというので只今居る○○○○が仕事をしに来て呉れと頼みに来て呉れたのを幸い、本年三月末頃に津山から一旦郷里へ帰り、それから京都へ来たのであります。決して逃げて来たのではありません。

    寺井マツ子素行調書(報告書 p.233):

    …昭和十三年四月二十五日頃夫○○が京都府愛宕郡に出稼の為之に同伴最近現住居に転居現在に及べり

    これらの日付を総合すると以下のようになります。
    ・それ以前: 津山(いつ頃からかは不明)
    ・昭和13年3月末: いったん貝尾に戻る(マツ子の実家は貝尾の池沢家なので、「郷里」は貝尾を指す)
    ・昭和13年4月25日頃: 夫に同伴して京都へ
    ・素行調書の日付は昭和14年4月22日(事件の翌年)で、その時点で「最近現住居に転居」となっていることから、住民票を写したのは昭和14年になってからと考えられる

    最後の点に関して、住民票を写したのが昭和14年なら、それまで「子供の学校」はどうしていたのかという疑問はあります。しかし、都井睦雄も倉見から貝尾へ住民票を写したのは小学校卒業後の昭和10年でしたし、当時は戸籍が別の所にあっても子供が現にそこにいる以上、学校は特に問題なかったようです。

    そういうわけで、マツ子が正式に転居したのは昭和14年になってからということになります。したがって、事件前(昭和13年)の「5月15日」にマツ子が役場に来て西川昇と会話したというのは筑波昭さんの創作であることは確実であり、石川さんの記述もそれに影響されたものと見て間違いなさそうです。以前にも書きましたが石川さんはそこまで筑波本に懐疑的ではないようなので、ある意味やむを得ないかな、と思います。

    中村一夫さんの『自殺』に関して。すいません。たぶん私が本ブログで紹介したのが高騰の一因です。私が紹介した時点ではAmazonのマーケットプレイスでも1円とか10円で出品されていたのですが、紹介した後そういう安いのが売り切れてしまって数千円~1万円になってしまいました。マーケットに出ている部数が少ないため、本ブログのような影響力の小さいブログでも需給に影響を与えてしまうようです。ただ、精神科医としての分析などの内容は津山事件マニアであれば一読の価値があると思います。

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