狭山事件: 甲斐仁志氏の「新推理」

『狭山事件を推理する』の著者である氏が、「新推理」を発表し始めています。まず最初に、殺害現場に関しての考えがこちらにまとめられています。

の「殺害現場」がお話しにならない点においては、甲斐氏の論考に深く同意します。今回新たに開示された証拠で、「殺害現場」にはルミノール反応がなかったことが確認されたとのことで、これだけでも確定判決のストーリーが破綻していることは明らかであり、早期に石川さんの再審ならびに無罪判決が出されることを希望します。

その後、甲斐氏は(甲斐氏の論考の中では「西富源治」という仮名になっています)宅での犯行を否定する議論を行っています。この内容については、納得するところと、納得できないところが両方ありますので、私(本ブログ管理人)の意見を付記しつつ紹介させていただきます。

  1. 西富源治方が強姦・殺害犯行現場だとすると、死体をそこから約400mも遠く離れた畑の中の農道まで運び、埋めなければならない理由がない。

    これは一見もっともらしく見えますが、甲斐氏が想定している「X氏自宅」でも同じことが言えます。甲斐氏はX氏自宅は郊外にあると想定していますので、そこで殺害した後、遺体をわざわざ駅の近くまで運んで埋めたのはなぜかということになります。被差別部落に疑惑の目を向けさせる目的なら、駅近くの部落を選ばなくても市内には他にもいくつか被差別部落がありましたし、OGに嫌疑を掛けさせたかったのであれば、逆に400mも離れた場所に捨てたのはなぜかということになります。

  2. 死体には「③下川昇一方」から盗まれた荒縄や、出所不明の木綿ロープが付けられていたが、新築中の「⑭西富源治方」には材木などを縛った荒縄や、家具や荷物運搬に伴うロープなどは多数あったはずであり、わざわざ「③下川昇一方」に盗みに行く必要がない。また、死体に長い荒縄4本を結んだり、首に木綿ロープを付けなければならない理由がない。

    そもそも、「死体に長い荒縄4本を結んだり、首に木綿ロープを付けなければならない理由がない」の謎が解けなければ、これがOG宅が犯行場所ではない理由にはならないでしょう。私は、荒縄や木綿ヒモ、ついでに言えば玉石も、様々な場所から集めてきた物を遺体と共に埋めることで捜査を攪乱しようとする偽装工作ではないかと考えます。

  3. 「⑭西富源治方」には隣家があり、事件当日の西富方についての証言も見られる。もし、西富方に男女が集まり、誕生祝いの食事をし、強姦に及ぼうとしたら、その騒ぎは近所の人に気付かれた可能性が高い。

    OG宅犯行現場説に対する反論としては、この点が最も説得力があると思います。この点に関しては再反論のしようがありません。ただし、甲斐氏が想定する条件

    • 農村地帯の雑木林に接した独立した借家や戸建て住宅
    • 独身か、妻が不在の核の男性(例えば、妻が研修出張、出産、入院など)

    にあてはまるような、都合のいい自宅を持った犯人が存在するかどうかというのはまた別の話です。少なくとも、そのような人間が実在していたら、当初は怨恨の線を追っていた警察に即座に目をつけられたでしょう。当時の農村では結婚するまでは親と同居するのが当然でしたし、次男・三男は婿に出るか都会に働きに出るか(そうなれば当然農村には住まない)が普通で、結婚して分家し、農業を続けながら核家族として農村に住むのはかなり珍しいことでした。結婚のため新築中だったOG宅よりも都合のいい物件があった可能性はかなり低いと思います。

  4. 当日は荒神様(写真9の左方向:北方向)の祭りがあり、「⑭西富源治方」の前の道や、さらにその東の道を通る人も多かったと思われ、現に、西富源治氏の同僚が荒神様に行く際に西富方の家を覗いたという証言がある。もし、が第1ガードから荒神様、さらに西富方へ自転車で通ったなら、目撃者がいた公算が高い。特に、西富源治や中学時代の同級生が誘い出したというなら、そのアベック姿は目立ったに違いない。

    これも3.同様に説得力がある反論です。車で移動したということも想定できますが、OG宅の前で車から被害者を降ろすときに誰かに見られたら、という再々反論もありえるかと思います。ただし、甲斐氏が書いている「当時の自動車の普及状況からすると、かえって人目に付く可能性が高かったと思える」というのはちょっと違うのではないかと。被害者宅にも養豚場にも車はありましたし、当時の自動車はそこまで珍しい物ではなかったと思います。

  5. 「⑭西富源治方」の東に向かう道の両側などには10数軒の民家があり、犬を飼っている家もあった。夜間に複数の男が死体を抱えてその前の道を移動したなら、「⑧田辺ナミ」や「⑨加藤年子」「③下川昇一」などが深夜に聞いたように、人の動きにあわせて西富方から東、さらに南へと犬が激しく順に吠えたはずである。田辺ナミは、家の東から北に向かって人が歩くのを追尾するように犬が順に吠えたというのであり、は死体発見現場には犬に吠えられない方向、東か南から近づき、北に向けて歩いており、西富方犯行説は否定される。

    これは逆に、OG宅での犯行を示唆する有力な証拠でしょう。後半部分は意味がよくわかりません。

  6. 死体を埋めるためには、西富方のスコップや近くの工事中の家(例えば、③の隣家、⑨の南の家など)のスコップを使えばよく、上田養豚場の荒くれ者がわざわざ養豚場から飼料用のスコップを持ちだし(他に工事用のスコップが数本あった)、「⑦スコップ発見現場」にスコップを遺棄することは考えられない。

    それこそ、甲斐氏も書いているように被差別部落に疑惑の目を向けさせるための偽装工作でしょう。

  7. 山田養豚場関係の複数の荒くれ者が犯人だとした場合、まず、被害者の体内に残されていた精液のB型と一致しない(20数名のうち、B型は石川さんただ1人であった)。さらに、佐野屋で警察官4人と民間人3人(吉沢健一先生を入れると4人)が犯人の声を聞いており、犯人取り逃がしの翌日には、犯人の声を聞いた警察官が張り込み包囲網の中にあった山田養豚場に行き、音声の一致を確かめたはずであり、もし真犯人が山田養豚場関係者であれば、事件は数日で解決したはずである。

    すいません。犯行現場とこの話って、無関係ですよね?

私の考えでは、上記の3.や4.のような弱点はあるものの、OG宅が現在判明している候補の中では最も「都合がいい」場所であることは確かであり、そこが犯行現場であった可能性もかなり高いと思います。甲斐氏が想定するような「もっと都合がいい」場所が実在するのであればそちらが犯行現場の可能性もあるとは思いますが、何よりもまず、実際に存在したことが証明されていないのが難点です。当時の農村にそのような場所があった可能性はかなり低く、あったとしてもすぐに刑札に目を付けられたのではないでしょうか。

あと、蛇足ですが指摘しておきます。

被害者の血液型O型と体内にあった精液B型が矛盾する。O型はO型同士の親からしか生まれず、B型はB型×O型又はB型×B型の親からしか生まれないため、兄・賢一氏の単独犯行説が成立するためには、善枝さんと兄・賢一氏の父親か母親が違う、ということにならざるをえないが、そのような証拠はない。

これは科学的に間違っています。O型はAやBの親からも生まれます。O型が生まれる可能性が(ほぼ)ないのは、親の片方あるいは両方がAB型の場合だけです(これにも例外はあり、シスABと呼ばれる特殊なAB型の親からはOが生まれることがあります)。B型も、B×O、B×B以外にも、AB×O、A×B、AB×A、AB×Bの組み合わせでも生まれます。両親がB×B、B×O、A×Bいずれかの組み合わせであれば、きょうだいにB型とO型が両方いてもおかしくはありません。
だからが犯人だというつもりはありませんが。

 

18 thoughts on “狭山事件: 甲斐仁志氏の「新推理」”

  1. 素朴な質問なのですが、犯人が遺体を運ぶ際に人力で運んだとか、リヤカーを使用したとかいう議論があるようなのですが、自家用車を使用した可能性は全くないのでしょうか?
    当時の状況を写真等で断片的に見るか、どなたかがお書きになったものを読むくらいしかできないので、とんでもなく的外れな事を聞いてるようなら、無視していただいていいのですが・・・
    この事件の関係者は主要な方だけでも10人以上いらっしゃると思われますが、その中で、自家用車を持っているか、自由に使える車を持っている方はどのくらいおられるのでしょうか?

  2. 事件発生当日、犯行に自家用車が使われた可能性は十分あると思います。
    ただし、5月1日夜遅く以降では、市外に通じる道路で警察による検問が実施されていました。ですから、おそらくは犯人側でもその後、自由に車が使用できる状態ではなくなっていたと思われます。

    関係者のうち、OG、石川さん等は自家用車を所有していませんでした。
    それでも(後述しますが)、当時堀兼近辺の農家・商店での自家用車所有率は100パーセントに近かったようです。堀兼地区は駅からも数キロ離れており、バスの便もあまりよくなかったため、「自家用車がなければ仕事にならなかった」(堀兼地区住民の話)そうで、男であれば18歳になると同時に免許を取りに行くのが、半ば付近での常識となっていました。

  3. 1.西富源治方が強姦・殺害犯行現場だとすると、死体をそこから約400mも遠く離れた畑の中の農道まで運び、埋めなければならない理由がない。

    個人の感覚の違い、といってしまえばそれまでですが、私はこれこそが「OG宅=死体隠匿現場」を示すものと考えています。拙著でも述べましたが、「犯人は死体を遠くに捨てに行きたかったものの、真っ暗で豪雨の中、車もなく担いで行かざるをえず、そうなると300m(「400m」ではありません)が限界だった・・・」ということなのではないでしょうか? 甲斐さんは「遠く離れた・・」とお書きになっておられますが、人を殺して自宅前に埋める犯人など普通いないと思います。

    2.死体には「③下川昇一方」から盗まれた荒縄や、出所不明の木綿ロープが付けられていたが、新築中の「⑭西富源治方」には材木などを縛った荒縄や、家具や荷物運搬に伴うロープなどは多数あったはずであり、わざわざ「③下川昇一方」に盗みに行く必要がない。また、死体に長い荒縄4本を結んだり、首に木綿ロープを付けなければならない理由がない。

    OG宅はほぼ完成していたのですから、「荒縄やロープなどが多数あった」とは思えません(新居写真にも写っていません)。なお、私は「玉石=凶器」「荒縄・木綿ロープ=何らかの運搬用として結んだもの→実際にはほとんど使用せず」だったと考えています。

    3.「⑭西富源治方」には隣家があり、事件当日の西富方についての証言も見られる。もし、西富方に男女が集まり、誕生祝いの食事をし、強姦に及ぼうとしたら、その騒ぎは近所の人に気付かれた可能性が高い。

    これはどの家でも同じだと思います。管理人さんがお書きになっている通りで、「周囲に人家なし、居住者は独り暮らし」などという都合のよい物件がほか近辺にあったとも思えません。やはり、犯行現場とすればOG宅が(OGがN家住み込みで働いていたことも含めて)ベストだったのだと思います。なお、私は「誕生パーティ」が行われる以前に、Y枝さんは後頭部を一撃され、失神状態で強姦された、と考えています。

    4.当日は荒神様(写真9の左方向:北方向)の祭りがあり、「⑭西富源治方」の前の道や、さらにその東の道を通る人も多かったと思われ、現に、西富源治氏の同僚が荒神様に行く際に西富方の家を覗いたという証言がある。もし、被害者が第1ガードから荒神様、さらに西富方へ自転車で通ったなら、目撃者がいた公算が高い。特に、西富源治や中学時代の同級生が誘い出したというなら、そのアベック姿は目立ったに違いない。

    少なくとも、祭りで賑わっていた「荒神様」のそばを通ったことは有り得ないと思います。善枝さんと犯人は車に乗って行ったか、または歩いて遠回りをしたか、でしょう。
    善枝さんはその日の約束について誰にも語っていませんし、人けの無い場所で待ち合わせていて、出会った人にもはにかむような仕草を見せています。ですから、おそらくは彼女自身も人に会うのは避けたかったのだと思います。なお、管理人さんがお書きになっている通り、当時狭山で自動車は別段珍しいものではありませんでした。農家・商店での普及率はほぼ100パーセントで、当時からの住民も「免許が取れる年になったら、すぐ取りに行くのが当たり前だった。車が無いと全く仕事にならなかった」と証言しています。

    5.「⑭西富源治方」の東に向かう道の両側などには10数軒の民家があり、犬を飼っている家もあった。夜間に複数の男が死体を抱えてその前の道を移動したなら、「⑧田辺ナミ」や「⑨加藤年子」「③下川昇一」などが深夜に聞いたように、人の動きにあわせて西富方から東、さらに南へと犬が激しく順に吠えたはずである。田辺ナミは、家の東から北に向かって人が歩くのを追尾するように犬が順に吠えたというのであり、真犯人は死体発見現場には犬に吠えられない方向、東か南から近づき、北に向けて歩いており、西富方犯行説は否定される。

    「これは逆に、OG宅での犯行を示唆する有力な証拠でしょう。後半部分は意味がよくわかりません」との管理人さんのご意見に、私も同意します。

    6.死体を埋めるためには、西富方のスコップや近くの工事中の家(例えば、③の隣家、⑨の南の家など)のスコップを使えばよく、上田養豚場の荒くれ者がわざわざ養豚場から飼料用のスコップを持ちだし(他に工事用のスコップが数本あった)、「⑦スコップ発見現場」にスコップを遺棄することは考えられない。

    どの家にスコップがあるのか、それが盗み出せる状態にあるかなど、分かっている人間は普通いないと思います。養豚場に出入りしていた者が車に積んで持って行ったとしても、別に不思議ではないでしょう。遺棄については、芋穴のカバン等と同様で、犯人のいい加減さを表すものでしかないような気がします(実際に見つかった場所がどこかは不明ですが)。

    7.山田養豚場関係の複数の荒くれ者が犯人だとした場合、まず、被害者の体内に残されていた精液のB型と一致しない(20数名のうち、B型は石川さんただ1人であった)。さらに、佐野屋で警察官4人と民間人3人(吉沢健一先生を入れると4人)が犯人の声を聞いており、犯人取り逃がしの翌日には、犯人の声を聞いた警察官が張り込み包囲網の中にあった山田養豚場に行き、音声の一致を確かめたはずであり、もし真犯人が山田養豚場関係者であれば、事件は数日で解決したはずである。

    これは確かに犯行現場の話と無関係ですね(笑)。
    なお、養豚場関係者で「B型は石川さんただ1人」ではありません。当時養豚場で勤務していた×××男という男も「B型、アリバイなし」であることが判明しています。また、血液型・アリバイが調べられていない従業員はほかにも多数います(もし疑われるのでしたら、公判調書等をお読みになってみてください)。「養豚場とその周辺は徹底的に捜査された」とよく言われていますが、これも嘘です。養豚場斜め向かいの家の主人など、「とうとうウチには1回も警察は来なかった」と証言しています。

    「犯人の声を聞いている警察官もいるのだから、犯人が養豚場関係者なら事件は数日で解決したはず」というのも同意できません。テープに声が残っているわけでも、声紋の鑑定が行われているわけでもありませんし、記憶の中の声だけで一致するかどうかなど判断はできないでしょう。それをいったら、それこそPTA会長やT恵さんが「犯人の声と石川の声は似ている」と証言しているのはどうなってしまうのか、ということにもなります。

    甲斐さんは以前、「OGも養豚場関係者も、警察が調べてシロだったんだからシロ」と語っておられましたが、その論理なら「警察が調べてクロだった石川さんはクロ」ということにもなります(笑)。自説に合う部分のみ、「警察の捜査は信頼できる」としているのでは、一貫性・説得力に欠ける推理となってしまうのではないでしょうか?

    1. >人を殺して自宅前に埋める犯人など普通いないと思います

      しかし人を殺している段階で「普通」ではないとも言える。
      たとえば石垣島の母親殺しの犯人は、遺体を自宅敷地内に埋めていた。
      足立区の女性教師殺しの犯人は遺体を自宅の床下に埋めていた。
      佐賀県の長男殺し、この犯人も遺体を自宅敷地内に埋めていた。
      宮城県で母と兄を殺した女も遺体を自宅の庭と床下に埋めていた。
      ジョン・ウェイン・ゲイシーは30人以上の遺体を自宅の床下に埋めていた。
      ジェフリー・ダーマーも犠牲者の遺体を自宅の床下に埋めていた。

      このような数々の実例からして「人を殺して自宅前に埋める犯人など普通いない」式の議論は全く無意味であると断言できる。普通ではないから人殺しなのだ。

      狭山事件に関して言えば、石川一雄は「脅迫状届けに行くのに、被害者の自転車に乗って近所の家で尋ねること自体が変でしょう。そこがもし、被害者の家だったらどうするんですか?」とも言っている。これも無意味な発言である。人間は常に合理的に行動するわけではない。人を殺して動顛していれば尚更だ。

      甲斐仁志は遠隔操作事件について「実際に逮捕・取調を受けた経験者なら、同じように冤罪者を苦しめることは考えにくい。私がKさんは無実であると考えるのは、この動機の点が一番大きい」と言っていた。これも無意味な発言である。「自分ならそうしない」ことは「他人もそうしない」ことを意味しない。結局「Kさん」は無実でも何でもなく真犯人であった。

      このような非科学的な空想の上に成り立つ「推理」には何の意味もない。事件に関する薀蓄を競い合うだけの、単なる暇人のお遊びである。

      伊吹さんは多数の事件関係者にインタビューをしてきた、それはいいが、談話の裏を取っていないなら情報としての価値はゼロに等しい。その自覚はあるのか?

  4. 伊吹様
    早速のご指摘ありがとうございます。
    被害者がいなくなった当日から検問が行われていたのなら、車での遺体運搬は厳しいでしょうね。
    となると、何らかの形で人力で運搬したことになりそうですね。遺体以外にも玉石のような持ちにくいものを運んだんですから、当然リヤカーのようなものが想定されます。こちらは発見されたんでしょうか?
    あるいは自転車にでも括り付けて運んだんでしょうか・・・?

  5. 噂レベルでは「リヤカー(または自転車、車)のタイヤ痕があった」との話もありますが、本当かどうか不明ですし、本当だったとしてもそれが事件に関係あったのかどうかは分かりません。「リヤカー」は有り得ると思いますが、それを備えているのは普通、農家などに限られるかと思います。被害者は幼児などではなく、158センチ・54キロの女子高生だったのですから、「自転車に遺体を括りつけて・・・」というのはまず無理でしょう。

  6. 「リヤカーを使った」というのは甲斐さんの説ですね。
    http://www.geocities.jp/sayamadetec/suirisuru/11.html

    この説では、甲斐さんが想定している郊外(被害者宅の近く)にある真犯人Xの自宅から、ずっとリヤカーを使って農道や雑木林の中の小道を通って運んだことになっていますが、それはかなり難があると思います。以前からこのブログでも議論しているように、当時は街灯もなく真っ暗で、やげん坂などは夜中は恐ろしくて歩けないと言われる状況でした。そのような状況で農道や雑木林の中を進むというのはまず不可能です。さらに、ネコ車(手押しの一輪車)ならともかく、リヤカーで農道を移動すれば昼間でも脱輪する危険性があります。

    また、そもそもの問題として、X氏自宅から死体発見現場まで少なくとも4kmあり、徒歩だと片道1時間以上かかります。小道を選んで歩けばもっとかかるでしょう。リヤカーを引いた、見つかれば逃げることもできない状態で、往復2時間以上かけて駅の方向に歩いて死体を運ぶというのは、午前2時や3時という時間を考慮してもあまりにもリスクが高いでしょう。
    それは、さのヤに登場する時のリスクとも比べものになりません。さのヤの方は、刑札の包囲の中とはいえ、ものの5分程度身軽な状態で逃げ切ればいいという状況ですから。

  7. 私も管理人さんと同意見です。
    あの晩の状況で、リヤカーに遺体を積んで数km離れた場所まで運ぶこと自体まず無理でしょうし、それに前述の通り1日夜遅くからは主要道路で検問も実施されています。夜中に大荷物(=遺体)を積んで、大雨の中引っ張って行く怪しい人間などいれば、それこそ一発で捕まったに違いありません。リヤカーが使用されたとすれば、それは犯人が遺体発見現場周辺の農家の者だった場合などに限られると思います。

  8. 車以外の方法で、しかも夜間に遺体を運ぶとすれば、おのずと距離が限定されると思います。範囲でいえばせいぜい500m程度かなと思います。人目に付くことを考慮すれば、それでもかなりリスキーな距離だといえます。夜だろうと、大雨が降っていて人通りが少ないことが想定されようと、そのリスクを考慮しないわけにはいかないというのは、みなさんのおっしゃる通りです。
    自転車に括り付けてといったのは、例えば背負子のようなもので背負って、自転車に二人乗りをするような格好で乗っていくといったイメージです。かなり苦しい体勢になりますが、少しぽっちゃりめ(失礼!)とはいえ女性ですから、短い距離ならがんばれそうな気もします。これなら、誰かに見られた時の違和感は、グッと少ないと思いますし、ある程度スピードも出せるので、心理的な負担は若干軽減されます。
    ただし、このやり方でも、長距離の運搬には不向きです。農道を3kmも4kmも運ぶ等は、いうまでもなく論外です。

  9. 古いエントリにコメントするのは気が引けるのですが、

    ⑭西富源治方」の東に向かう道の両側などには10数軒の民家があり、犬を飼っている家もあった。夜間に複数の男が死体を抱えてその前の道を移動したなら、「⑧田辺ナミ」や「⑨加藤年子」「③下川昇一」などが深夜に聞いたように、人の動きにあわせて西富方から東、さらに南へと犬が激しく順に吠えたはずである。田辺ナミは、家の東から北に向かって人が歩くのを追尾するように犬が順に吠えたというのであり、真犯人は死体発見現場には犬に吠えられない方向、東か南から近づき、北に向けて歩いており、西富方犯行説は否定される。

    これは⑧田辺ナミ宅は「遺体発見現場」の真西にあり、⑭西富源治方は
    ⑧田辺ナミ宅のさらに北西にあるので、⑭西富源治方から遺体を運んだのであれば
    ⑧田辺ナミ氏は北西の方角から犬の吼える声を聞いたはずだ。
    しかし⑧田辺ナミ氏は遺体発見現場の方角である東のほうから犬が吠え出し、
    そのまま北に向かって吼えていった、人の動きに追尾しているかのようだった。
    と発言しているので、犯人は⑧田辺ナミ宅の北や西の方角からではなく、東か南の方角から
    遺体発見現場に向かったと考えるのが自然ということだと思います。

  10. これは埋めに行くまでの隠匿場所がどこであったか、現場までの移動手段が何であったかによっても大きく変わってくると思います。
    田辺さんは「家から通りを隔てて向かいのOさん宅の犬など、東側近所の犬が最初に吠え出した」旨供述しています。犯人はkskさんのおっしゃるように「南か東の方角から来た」可能性もありますが、自動車で農道入口まで遺体を運び、そこで降ろした場合なども「犬の吠え方」はほぼ同様になるかと思います。また、OG新居~田辺さん宅間も当時人家は僅かしかありませんでしたから、もしそこで犬を飼っていた家が無かったとすれば、OG宅から遺体を運んだ場合もやはり状況はほぼ同じになると考えられます。

  11. 人間の歩行時速はだいたい4kmといわれています。つまりは、「晴天時、昼間、手ぶら」で歩いても上赤坂~死体発見現場までは約1時間かかる、ということです。
    「真夜中・街灯なし・森の中・豪雨・未舗装・ぬかるみだらけ・〝頂上も見えない位〟の急坂」を、「遺体(54kg)+玉石(4.65kg)+スコップ+その他=60kg以上」の荷を積んだリヤカーを引いていくとしたら、少なくても行きはその2~3倍の時間が掛かるはずです(私はそもそもこの作業自体、不可能と思っていますが)。そうなると、甲斐氏の説に従えば犯人は5月1日・最初の張り込みが実施されている中(この日犯人は現れなかったのですから、おそらく0時半位までは張り込みが続けられたと考えられます)、遺体を積んだリヤカーを引いてそこを通り過ぎた、ということになります。そもそも同時間帯、権現橋上では警察による検問も実施されているのですから、怪しさ満点のリヤカーが何のチェックも受けず同所を通過などできるわけがありません。厳しい言い方ですが、甲斐氏の説は全く荒唐無稽というほかないと思います。

  12. この事件の真相を、現状公開されている
    証拠から導きだすのは不能なわけです。
    ですから、わたしにとって重要なのは、⑧田辺ナミ他、近所の住人が
    遺体が埋葬されたと思わしき時刻に、犬が追尾しているように東から北へ
    吼えているのを聞いたという証言だけです。
    この証言一つからも色々想像したり推理したりできますが、
    その推理(所詮妄想)に対して反論したりするのは不毛だと考えているので、
    コメントは控えます。
    ただ甲斐氏がここで言っていることの意味は、管理人さん含めわかっていただけたかと思います。

  13. 現場までの移動手段が何であるか、その時の遺体がどのような状況であったかが全く不明なのですから、これは何とも言えない気がします。死体発見現場へは「東か南から近づいた」ことも考えられますが、そうでない可能性も十分あります。

    犬というのはかなり死臭に敏感なようで、例えば昭和47年に発覚した「連合赤軍リンチ殺人事件」などでも、調書をみると「車から遺体を降ろした途端、離れたところにあった農家の犬が吠え出した」との供述があったりします。また、同時期他の事件でも「死体を包んでいたビニールを解いたら、急に近くの犬が吠え出したので焦った」と犯人が供述した例が残されています。

    狭山事件の時の犬の吠え声は、結局遺体が埋められた現場から最後は北(OG新居方向)に向かっているのですから、これについて説明を行わない限り、「OG犯行説を否定(この話に基づいて)」するのは無理でしょう。甲斐氏の説は立証の面であまりにも不十分と思います。

  14. とうじま様

    >このような数々の実例からして「人を殺して自宅前に埋める犯人など普通いない」式の議論は全く無意味であると断言できる。

    読み方が浅いですね。私が言っているのは「自宅前」です。
    人を殺して、自宅床下や敷地内に埋めた例なら、それこそ無数にあります。甲斐氏は「OGが犯人ならば、(通りを隔てて)自宅の向かいに埋めるはず」と主張していたので、私はそれに対して「過去にそんな例は殆どない」と反論しているのです。

    >このような非科学的な空想の上に成り立つ「推理」には何の意味もない。事件に関する薀蓄を競い合うだけの、単なる暇人のお遊びである。

    「暇人のお遊び」と言ってしまえば何でもそうで、それを言ったら、とうじまさんが狭山事件について調べたり、ここに書き込んでいることだって、まさしく「暇人のお遊び」でしょう(まさか、「自分だけは違う、特別」なんて思ってないですよね??)

    >伊吹さんは多数の事件関係者にインタビューをしてきた、それはいいが、談話の裏を取っていないなら情報としての価値はゼロに等しい。その自覚はあるのか?

    価値がゼロということはないでしょう。悪意のない証言は、それなりに意味があるものと思います。事件から54年余りが過ぎており、ウラを取ることは極めて困難な状況となっていますが、重要な証言が飛び出した場合等は、極力周囲の方々にも同じ質問をぶつけるなどして、確認を取るよう心掛けています。

    なお、私は「石川さんの救出」「権力犯罪の告発」などを目的としてこの活動を行っているわけではありません。あくまでも〝近代史研究〟の一環として、その真相を追い続けています。
    つまりは、「邪馬台国」「本能寺の変」「千利休の切腹」等々と狭山は、私にとって全く同列の出来事なのです。それが「意味のないもの」ということにはならないはずです。〝歴史を研究する〟というのは、まさしくそういうことだからです。

    あと、ついでに付け加えておきますが、私の場合ははっきり他のマニアの方とは違う点が1つあります。それは、狭山を含むノンフィクションを書くことによって現在もなお生計を立てている、ということです(もちろん、狭山記事で得ている収入はごくごく一部ですが)。
    これまでには膨大な時間と費用と手間を使って取材を重ねていますし、雑誌に狭山記事を執筆しているほか、出版社からは毎年印税も受け取っています。また、某大手出版社からは毎年、狭山取材費用の援助も受け続けています。生活が掛かっている以上、これは決して「遊び」ということには成り得ないのです(まあ、簡単に言うならば、「草野球」と「プロ野球」の違い、ということですね)。

  15. >私が言っているのは「自宅前」です。
    >私はそれに対して「過去にそんな例は殆どない」と反論しているのです

    それは事実でしょうか。私が知るだけでも以下のような例があります。

    *大阪市の一斗缶事件
    *神戸市長田区の女児殺害事件
    *京都府舞鶴高1殺害事件
    *三重県四日市の中3女子殺害事件
    *愛知県豊田市の派遣社員女性殺害事件
    *千葉県東金市の保育園児殺害事件
    *東京都江東区の妻殺害事件
    *広島小1女児殺害事件
    *バンコクの4歳女児殺害事件

    殺人の既遂ではありませんが、茨城県鉾田市では、女性が密かに産み落とした赤ん坊を自宅の塀の外に投げ捨てて放置する事件も起きています。

    「過去にそんな例は殆どない」と言えますか? 伊吹さん。

  16. とうじま様

    >「過去にそんな例は殆どない」と言えますか? 伊吹さん。

    言えます。もちろん皆無ではありませんが、過去にそうした例はほとんどありません。

    いくつか事件例を挙げておられますが、「遺体が発見されて、近くに住む人間が犯人だった」なんて例なら、それこそ数え切れないほどあるでしょう(自宅床下や敷地内に埋めた例より遥かに多いと思います)。それとOGのケースを一緒くたにするのはあまりにも無理があり過ぎます。

    上記の事件も、遺体の状況や犯人自宅との距離、事件の性格は相当違っています。舞鶴の事件は未だ未解決ですし(犯人は私もNだと思いますが)、江東区の事件はただの〝無理心中〟です。
    いずれも「犯人がOGならば(200~300メートル離れた場所ではなく)自宅向かいに埋めるはず、従ってOGは事件とは無関係」とする甲斐説の論拠には成り得ないと思います。

  17. 横から失礼しますが、伊吹さんは「自宅の前で(通りを挟んで)穴を堀り、死体を埋めるような作業をしたら目立ってしまい、自分から捕まりに行くようなものだ」とおっしゃりたいのではないでしょうか?まあ人を殺すこと自体常軌を逸しているので、こういう人物が何をやるかわからない、というのは理解できないでもないですが。まず自宅の通りをはさんだ場所で死体埋めなんかやってたらおかしいと思われるのでは?荒唐無稽と言われてもしかたない想像だと思います。

    とうじまさんが上げた事件でソースがある日本の事件だけを見てみますと、
    *大阪市の一斗缶事件・・・犯人は死体を切断し5年保管したあと一斗缶に入れて複数の場所に放置
    *神戸市長田区の女児殺害事件・・・遺体をポリ袋に詰め裏の雑木林に遺棄(埋めていない)
    *京都府舞鶴高1殺害事件・・・Nは死体遺棄現場(朝来川斜面)から400mほど離れた場所に住んでいました
    *三重県四日市の中3女子殺害事件・・・犯行後空き地に全裸で放置された事件です。埋めてません
    *愛知県豊田市の派遣社員女性殺害事件・・・遺体を畑に放置しています
    *千葉県東金市の保育園児殺害事件・・・全裸で路上に放置
    *東京都江東区の妻殺害事件・・・妻を殺害後、部屋に放置。その後自分も川で自殺(心中)
    *広島小1女児殺害事件・・・遺体をダンボールに入れ、空き地に放置。

    犯人たちは、遺棄現場に長時間とどまらず(他人の目に留まらないよう)瞬間的な滞在だけで立ち去っているものと思われます。OGが犯人の一人だとしても通りを挟んだ自宅前などに死体を埋めることなどありえないと考えます。

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