狭山事件: 新伊吹本: 被害者の呼び出しについて その2

前回の続きです。

第一ガード・第二ガードにおいて目撃された際の状況から考えて、当日が誰かと待ち合わせしていたことはほぼ確実と思います。しかし、当時の女子高生が全然関係ない人に呼び出されてそれに応ずることはまずないとも思います。また、前回も書きましたが(新でも指摘されていますが)、当時はケータイも出会い系もありません。知人に事前に呼び出されていたとすると、考えられる可能性は下記の通りになります。

  1. : 前回書いた説など。(以下3月16日追記)コメントで伊吹氏からご指摘をいただいているように、この可能性は低いと私(管理人)も考えます。あくまで可能性ということで列記しています
  2. 学校: 別科のクラスメイト16人(1クラスのみ)は全員女子であり、しかも4月に入学したばかりでまだ数週間しかたっていない状況でした。その中で誰かが被害者とそのような待ち合わせの話をしていれば、何かの形で他の生徒にも伝わると思われるため、この可能性は低いと思います
  3. 登下校(通学路): 新伊吹本にあるように、被害者は朝、近所の高校生(中学時代の同級生)と一緒に登校することがあったとのことです。そのメンバーの誰かであれば、待ち合わせを伝えることは可能という伊吹氏の指摘に同意します
  4. 出身中学関係: 被害者は出身中学に時々遊びに行くことがあったようです。その際に昔の同級生と会って伝言されることが考えられます
  5. 学校行事関係: を見ると、事件の直前の4月29日(月曜日、天皇誕生日(当時))にも被害者は学校行事に参加して群馬へ行っています。その際に待ち合わせについて話をした可能性はあると思います

上の5.について、4月29日の日記には以下のような内容があります。

4月29日 晴 22℃ 群(実際には馬へんに羊)馬県南毛地区対埼玉県の交歓会。会場は伊勢崎工業高校だった。南毛の皆さん二○○名 埼玉県の皆さん二○○名 計四百名近くの楽しいためになる交歓会だった。

(大きく間が空いて)

今日は狭山工業高校の××××を訪れる予定だったのに。午前七時、川越に向かった。今日はJ.R.Cのことでバスで群馬県に行くのだ。

川越から伊勢崎まで約60km、関越自動車道(1971年開通)がない当時の道路事情では、バスで片道2時間程度でしょうか。そのバスの中で、他校に行った中学時代の同級生と会って「誕生日にお祝いをしよう」と誘われて呼び出された可能性があるのではないか、と個人的に思っています。

その一番の理由は、5月1日の日記に待ち合わせが書かれていないからです。以前にも書いたように、被害者は日記の左の方にあらかじめその日の予定を書き込んでおいて、当日が終わってから本来の意味での日記を右の方から書いていたと私は考えています。つまり、予定を書き込む時点で待ち合わせの話があったのであれば日記に書かれているはずで、ある程度直前になって予定を伝えられたのではないかと思います。もちろん、当日(5月1日)あるいは前日(4月30日)の登下校の際に伝言されたということもありうるでしょうが、事件の2日前の4月29日に、同年代の高校生と同じバスで往復4時間も揺られていたというのはタイミングが良すぎるような気がします。
家族に見られることをおそれて待ち合わせを書かなかったという推理もできるかもしれません。しかし、被害者はMHくんに対する熱烈な恋心も日記に包み隠さずに書いていますので、待ち合わせだけ書かないということはないと思います。

交歓会に参加した埼玉県側の200人の生徒のうち、「メッセンジャー」役が務まる人物-被害者の中学時代の同級生で、犯人グループともつながりがある生徒-はいなかったのでしょうか。

16 thoughts on “狭山事件: 新伊吹本: 被害者の呼び出しについて その2”

  1. 今回の管理人さんの説にはなかなか興味深いものがありました。
    一応この件について、私の方の見解も述べさせて頂くことにします。

    ・まず、「呼び出した(伝言した)人物」の1~5について。
    ①これはあり得ません。家族の中で犯行当日2時45分に「第二ガード」に行ける者は存在しなかったのですから、仮に身内に犯人がいたとしても、「呼び出し係」は別の人物、ということになります。
    ②犯人の1人が同級生の女子、ということはどう考えてもあり得ないでしょう。
    ④被害者は定期的に母校を訪ねていた訳ではありませんし、このような「偶然の出会い」を利用しようという犯人は普通いないと思います。

    したがって、この中で可能性があるのは、③と⑤だけになります。
    しかし、管理人さんが主張する⑤説にも、2つほどの弱点があるように思われます。

    その1.
    埼玉県から200名、ということは最低でもバスで5~6台ということになりますし、この「メッセンジャー」の少年と善枝さんは中学で同期だったとしても、その時点では学校も別々のはずです。基本は学校ごとの団体行動、ということになるでしょうし、必ずしもそこで善枝さんと2人きりの時間が持てるとは限りません。そこで偶然に頼るよりも、普段の決まった通学路(行きまたは帰り)で待ち伏せする方がやり方としては簡単ですし、確実でもあるはずです。

    その2.
    これは私の個人的な感覚でしかないのですが、犯行の2日前に約束を取り付ける、というのでは、ちょっと時間が無さ過ぎるようにも思います。被害者は友人も多く、社交的で活発な性格でしたから、直前では「先約がある」といって断られる可能性も十分あったはずです。もちろん、だからといって余り早くから話を切り出せば、今度は外部に漏れる危険性が増すことになります。ですから、“伝言する”側からすれば、「早くも、遅くもなく」といったところがベストであったはずです(私が「メッセンジャー」であったとすれば、たぶん1週間前くらいのところで被害者に話を伝えたと思います)。

    善枝さんが日記に何も書かなかったのは、おそらくメッセンジャーから「絶対秘密にしておいて欲しい」と頼まれており、さらには異性絡みの“恥ずかしい”話でもあったからではないかと思います。想像するに、主犯やメッセンジャーの少年は、あとで被害者が日記に先の予定まで書き込んでいたのを知って、かなりの冷や汗をかいたのではないでしょうか??

               *          *          *

    あと、今回の件とは直接関係無いのですが、この4月29日の日記の内容に関して1つだけ気になっている点があります。それは、「群馬県―交歓会」「会場は伊勢崎工業高校だった」と冒頭にあるのに、最後で「午前7時、川越に向かった」「群馬県に行くのだ」となっていることです。この記述の逆転は一体何から生じたものなのでしょうか?「予定」ということでもありませんし、この点だけは今も不思議に思えてならないのですが・・・。

  2. 追記:

    管理人さんの言うように、「約束が直前のものであったため、日記に予定が記されなかった」という可能性も十分あると思いますが、ただこれも事件前日(4月30日)の日記が公開されていない以上、何とも言えない気がします。

    私はこの「事件前日の日記」が公開されなかった点が、今もとても気になっています。事件に直接関わる記事があったことも十分考えられますし、またそれゆえに伏せられた、とみることも出来るかとは思うのですが。

  3. コメントありがとうございます。
    現在出張中のため、反応が遅くなっていて申し訳ないです。

    ご指摘の点については同意です。今回エントリで書いた内容はあくまでも当方の個人的考えで、これが絶対の物だというつもりも確信もありません。おっしゃるように登下校時に同時に一緒にいた生徒たちの中に「メッセンジャー」がいた可能性も高いと思います。

    それにしても、上で書き忘れましたが29日の日記に「狭山工業高校の××××を訪ねるはずだったのに」という書き込みがあることと、29日に他校の生徒と一緒に群馬県まで遠出をしていたことがどうも個人的に引っかかります。ご指摘のように30日の日記が公開されていないこと、「××××」が公開時に伏せ字にされていることを含めて、このあたりに事件と直接・間接に関係あるような記述があったのではないかという考えが、当方としてもどうしても捨てられません。

    もし30日の日記、あるいはその前後に事件当日の待ち合わせについて何か書かれているとしたら、裁判で想定されていたような通りすがりの犯行ではないことが証明されます。その意味で、再審に向けての証拠開示の流れの中でも、この被害者の日記はかなり重要な位置を占めると思います。是非とも弁護団にご尽力いただいて、日記開示への流れを作ってほしいと思います。

  4. 管理人様と伊吹様のコメントを拝見し、改めまして、被害者の日記を確認してみたのですが、被害者の日記の内容で、疑問に思う点がございます。

    被害者の4月29日の日記の中で、

    ≫今日は狭山工業高校の××××を訪れる予定だったのに。午前七時、川越に向かった。今日はJ.R.Cのことでバスで群馬県に行くのだ。
    (欄外「受信」)二○○円 学校より  二○○円 父より
    (欄外「発信」)バス 二二○円  その他交通費 一一○円

    とございます。

    上記につきまして、

    ①「午前七時、川越に向かった。」とありますが、この文は、「4月29日」の当日の朝、被害者が自宅を出る
     直前に、「出発時刻」の「午前7時」を日記に書きこんで、家を出た、ということでしょうか。

    ②「今日はJ.R.Cのことでバスで群馬県に行くのだ。」の文ですが、「~行くのだ。」という表現は、
     「~(これから)行くのだ。」というように読めると思えますので、 この文も、上記①と同様、「4月29日」の  当日の朝、被害者が家を出る直前に、日記に書きこんだものでしょうか。

    ③日記の欄外に、「バス 二二○円  その他交通費 一一○円」とございますが、
     この交通費から、4月29日の「被害者の移動経路」は、どのように推測できるのでしょうか。

     日記によりますと、
     
     ◆A「被害者の自宅」→B「川越」→C「群馬県の伊勢崎工業高校」   となりますが、

      ●A→Bは、徒歩と鉄道を利用、でしょうか。
      ●B→Cは、「バス」を利用、でしょうか。

     日記に「バス220円」とありますが、このバス代は、上記の「B→C」に対応するのでしょうか。
     そもそも、「J.R.Cのことでバスで群馬県に行くのだ。」における「バス」は、「路線バス」なのでしょうか、 
     それとも、「J.R.C」の交歓会の参加者用に用意された「専用・特別バス」なのでしょうか。

    ④同じく、日記の欄外に、「二○○円 学校より  二○○円 父より」とございます。
     これは、いずれも、当日の「交通費」に使うために、事前に支給された金銭、なのでしょうか。

    以上、思いつきで書かせていただきましたが、管理人様、伊吹様のお考えなどをお聞かせいただければ、
    幸いです。

  5. たびたびのコメントとなりまして、すみません。
    上記のコメントで、

    ≫◆A「被害者の自宅」→B「川越」→C「群馬県の伊勢崎工業高校」   となりますが、

      ●A→Bは、徒歩と鉄道を利用、でしょうか。
      ●B→Cは、「バス」を利用、でしょうか。

    と書きましたが、

    「A→B」につきましては、被害者の自宅と最寄り駅との距離感からして、
    「徒歩」ではなく、「自転車」で、最寄駅まで行ったのでしょうか。

  6. お久しぶりです。

    その部分の時制が混乱していることは確かに気になります。「行くのだ」は予定としての書き方なのに、その前にある「向かった」が過去形になっていることに関して、現時点で確定的に言えることは何もないと思います。

    「その他交通費」の110円は確かに高いですね。ご指摘をいただくまで気がつきませんでした。昭和38年の西武鉄道の入曽-川越市の正確な運賃はわかりませんが、当時初乗り運賃は10円~15円が相場だったようなので、4駅で片道55円もかかるとは思えません。他でも書いたように被害者は日記にはウソを書いていないと思いますので、なんで110円もかかったのか、もう少し調べてみる必要がありそうです。

    バス代の220円に関して、チャーターしたバスなのか定期バスなのかは全くわかりません。学校から200円支給で実際のバス代が220円なら当然に20円足が出るわけで、今の時代ならマスゴミに袋だたきされることでしょう。その点を含めて今後さらに研究・確認が必要な事項だと思います。

  7. お考えをお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
    被害者の中学の同窓生や、高校に入ってからの「J.R.C」での交友関係など、
    被害者は、思いのほか、同年代との接点が多いと思われますが、
    被害者の同年代の友人・知人からの情報が、少ないように思えます。
    4月29日に接点のあった人物、「狭山工業高校の××××」で会う予定だった人物、
    「日曜日」にもかかわらず、被害者が「お誕生おめでとう」と言おうとしていた友人、
    などから、具体的な話が出てこないのは不思議に思います。
    皆様もおっしゃっていますが、被害者の日記の(できれば全面的)な公開が望まれるところです。

  8. 禅 公案さんの疑問について、私も分かる範囲内でお答えしたいと思います。

    ①「午前七時、川越に向かった。」とありますが、この文は、「4月29日」の当日の朝、被害者 が自宅を出る直前に、「出発時刻」の「午前7時」を日記に書きこんで、家を出た、ということ でしょうか。
    ②「今日はJ.R.Cのことでバスで群馬県に行くのだ。」の文ですが、「~行くのだ。」という表現 は、「~(これから)行くのだ。」というように読めると思えますので、この文も、上記①と  同様、「4月29日」の当日の朝、被害者が家を出る直前に、日記に書きこんだものでしょうか。

    この件は、すでに14日にコメントした通りで、私にも全く分かりません。考えられるとすれば、禅公案さんのおっしゃる通り、「当日の朝に書き込んだ」ということ位でしょうか? しかしそうなると、なぜわざわざそのページの後半に書き込んだのかが、ますます分からなくなってきます。
    いずれにしても不思議な記述です。

    ③日記の欄外に、「バス 二二○円  その他交通費 一一○円」とございますが、
     この交通費から、4月29日の「被害者の移動経路」は、どのように推測できるのでしょうか。

    A「被害者の自宅」~B「川越」は、普通に考えて自転車+鉄道でしょう。被害者は普段も毎日自転車で駅前を通り掛かっている訳ですから。あと、西武新宿線の場合、昭和50年位まではどこの駅前でも自由に自転車を放置することが出来ました。

    B川越~C「群馬県伊勢崎工業高校」   

    当時は長距離バスもありませんし、もちろん川越~伊勢崎などという路線バスも運行されていません。それに、川越に集合して大人数で行くとすれば、貸切バスの方が絶対費用も安くなります(満員で行けば半額くらい)。ですから、これは間違いなく専用の貸切バスであるはずです。

    ④同じく、日記の欄外に、「二○○円 学校より  二○○円 父より」とございます。
     これは、いずれも、当日の「交通費」に使うために、事前に支給された金銭、なのでしょうか。

    祭日に開催されていて、しかも翌日に振替休日も与えられていませんから、これは公的な学校行事ということではなく、被害者らが自主的に参加したイベントなのでしょう。学校からの「200円」はおそらく、こうした行事への参加を促進するための「補助」なのだと思います(こうしたケースは、私の通っていた学校でもありました)。これだけですと若干の足が出ますし、当然そのほかにも費用は掛かることになりますから、父親もそのあたりを考慮して200円を与えたのでしょう。

    なお、「その他交通費110円」は、何なのか私も全く分かりません(「バス220円」の方は群馬往復として妥当な金額と思います)。管理人さんがお書きになっている通りで、当時の入間川~本川越間の鉄道運賃などせいぜい20円くらいであったはずです。ですから、そうなると「伊勢崎工業高校」からさらに別の場所に移動する必要があった、ということぐらいしか考えられないかと思うのですが・・・。

  9. 「その他交通費110円」に関して。4月30日に「次兄から借りた(もらった)1000円」との関連はないのかなあ、ということをちょっと考えました。

    本当に当日交通費に使ったとすると、伊吹さんも書いているようにかなり遠くまで行けるはずです。おそらくは新宿往復のレベルでしょうか。伊勢崎まで往復して川越に戻ってからさらに新宿まで行って、怪しまれない程度の時間に帰ってきたとすると、本当に行って帰ってくるだけレベルの時間しかないと思われ、何のために行ったのか疑問が残ります。

    そうなると、この部分は日記にウソを書いていて、実際には別の目的で使ったか、あるいは取っておいた可能性の方が高いように思います。その場合、使い道は30日にもらった1000円と同じだったのではないでしょうか。……前のコメントで「被害者は日記にウソを書いていないと思う」と書きましたが、それは撤回した方がいいのかもしれません。

    その1000円の使い道が何かというと、これまた全くわかりません。

  10. 伊吹様へ
     お考えをお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
     「その他交通費110円」につきましては、その記載が事実だとしますと、「110円の交通費」が発生
     するほどの「移動」を合理的に説明することは、確かにむずかしいように思われます。

    管理人様へ
     この点からしますと、管理人様がお書きになったように、「その他交通費110円」の記載は「虚偽」でなないか、というお考えも説得力があるように思われます。
     その場合、管理人様もお書きになっているように、事件当日(誕生日)の直前において、何らかの理由で被害者は「お金」を強く必要としていた様に見えます。
     そのお金の使い道ですが、わたしのまったくの想像(妄想?)ですが、被害者は、自分のお誕生日に、オシャレをするための「洋服」を買おうとしていた、とは考えられないでしょうか。
     このことに関連しまして、伊吹様の最新刊「検証・狭山事件」226ページの記載が気になりました。
     同書で「~あの子は末の娘さんだったから、普段着は買わなかったですね。買っていったのは、
    体育着とか学校で使うようなものばかりで・・・・・。~」とございます。被害者は、高校生になって初めての
    誕生日、加えて、仮に「好きな人」に会う予定があったとしたら、オシャレな服を着たい、ということも考えられるように思えるのですが。

     話はそれますが、上記の同書の同じ箇所で、「~あの子は、事件に遭う前日に、『明日、学校でお料理の時間があるんです』って言って、割烹着を買いに来たんです。~」とございます。
    この話を前提としますと、以下の2点が言えるように思えました。
    ①被害者は、「4月30日」の欄外に「割烹着 ××円」と書いている、
    ②被害者は、「5月1日」の当日、前日買った「割烹着」を学校に持参し、お料理のときに来た。
     そして、その割烹着は「学校に置いたまま」のはず
     (といいますのも、わたしの知る限りでは、事件後に発見された被害者の所持品の中に、「割烹着」は含ま れていなかったと記憶しているからです。記憶違いでしたら失礼いたします)

  11. ≫お料理のときに来た。

    と書いてしまいましたが、
    「お料理のときに着た。」でした。
    失礼しました。

  12. 禅 公案さんの説ですが、

    >被害者は、自分のお誕生日に、オシャレをするための「洋服」を買おうとしていた、とは考えら>れないでしょうか。
    >誕生日、加えて、仮に「好きな人」に会う予定があったとしたら、オシャレな服を着たい、とい>うことも考えられるように思えるのですが。

    これは成り立たないと思います。5月1日は平日で、授業もあり、被害者も制服姿のまま“待ち合わせ場所”に向かっているからです。

    ただし、GW(=「これからのバカンス」?)に着ていく服が欲しかった、ということならば有り得るでしょう。しかし、それも可能性としてはかなり低いのではないかと思います。
    私自身も3人兄弟の1番下だったので分かるのですが、当時は上にきょうだいがいる場合、「お下がり」のみを着る、というのが普通でした(衣料品店の方が「末の娘さんだったから、普段着は買わなかった」というのは、そういう意味で言っているのだと思います)。被害者は事件の半月前にも友人たちとハイキングに出かけていますし、それ程「遊び着」に困っていたとも思えません。「連日小遣いのことで言い争い、涙を流し続けた」という位に金を欲しがっていたとすれば、それはまた別の件であった、とみるべきではないでしょうか? 敢えて想像するならば、それは「友人と遠出する約束をしていた」とか、「誰かへのプレゼントを買おうとしていた」とか、その類のものだったかとも思うのですが。

    なお、上記①②については私も確実と思います。しかし、それにしても(くどうようですが)日記の記載ページで写真公開されたものが、前日を飛ばして4月27日分と29日分だった、というのが何とも気になります。特に何もなかったとすれば、普通に考えて前日分を出すものだと思いますし・・・。やはり、あらかじめ書き込まれていた「予定」や、欄外部分に「何か」があったために、そうしなかった(あるいは出来なかった)のではないか、という気がしてならないのですが、果たしてどうでしょうか?

    >割烹着は「学校に置いたまま」のはず(といいますのも、わたしの知る限りでは、事件後に発見>された被害者の所持品の中に、「割烹着」は含まれていなかったと記憶しているからです。

    インタビュー記事の中ではカットしましたが、衣料品店の奥さんの話によれば、入間川分校別科では「お料理の時間」が頻繁にあったそうです。割烹着は新品のものでしたし、おそらく被害者は今後のことも考えて学校に置いたままにしたのではないでしょうか?

  13. すいません。伊吹さんも「写真公開」と書かれていますが、4月30日の日記の文章の一部は女性自身で公開されていますね。忘れていました。ただし、予定や欄外を含めた写真では公開されていません。その理由はそこに何か重大なことが書かれていたからではないか、という伊吹さんのご意見に私も同意します。

  14. 直前の日記で「“K”での会合があった」「狭山工業高校の××××を訪れる予定だったのに」といった伏せ字がみられることから推測すれば、おそらく特定の未成年(またはその所属団体)に疑い
    がかかりそうな記述については、すべて公表を避けたのだと思われます。
    察するに28日や30日分は、「予定」や「欄外」にその類の記述がやたらと多かったため(伏せ字だらけになってしまうため)、写真公開の際もカットせざるを得なかったのではないでしょうか? ここには、何か事件の謎を解くための大きな手掛かりが潜んでいるような気もします。是非とも実物を見てみたいものですが、日記が中田家に返還されている以上、多分もう無理なのでしょうね・・・。

  15. すでにご存じかと思いますが、岩波書店の岩波現代文庫として、鎌田慧氏著の『狭山事件の真実』が今月4月に刊行されることを知りました。
    この岩波書店の新刊と、2004年刊の『狭山事件—-石川一雄、四十一年目の真実』との関係ですが、岩波書店に問い合わせましたところ、岩波の新刊は、草思社の既刊本を「底本」にしていて、叙述の大半は、草思社の本と同じですが、岩波書店の文庫では、「現代文庫版あとがき」として最新の状況について加筆があり、また、本文中にも若干の加筆、修正がなされています、とのことでした。
    ご参考までに。

  16. その情報は知りませんでした。ありがとうございます。

    鎌田本ももう6年前になるんですね。どの程度の加筆修正がなされているのか、興味深いところです。鎌田本は基本的に石川さん冤罪本であって真犯人推理本ではないので、あまり大幅な改訂はないとは思いますが。

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