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脅迫状が差し込まれていたとされるN家勝手口
(東京新聞昭和38年5月4日付朝刊)
下の方に敷居があり、その上の戸は下から木、すりガラス、透明ガラス、すりガラス
という構成になっていて、「誰かが脅迫状を差し込もうとすれば家の中から見えていたはず」と言われます。しかし、引き戸の木の部分は
写真に写っている被害者の父親の腰くらいまであり、体をかがめていけば中から見られずに脅迫状を差し込むことは不可能ではない
ように思います。
ただ、時間的な問題(長兄が帰ってきてから脅迫状を発見するまで10分足らず)を考慮すると、やはり外部の人間が確定判決通りの
やり方でここに脅迫状を挟むのは不可能だと思います。
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被害者の自転車
(サンケイ新聞昭和38年5月4日付朝刊)
「びしょ濡れだったが、サドルだけは濡れていなかった」と言われる自転車です。
この自転車も、長兄が帰ってから10分足らずの間に被害者が普段停めていたのと同じ場所にきちんと停められていたという
確定判決の認定通りの犯行は至難の業でしょう。
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当時の佐野屋
(東京新聞昭和38年5月4日付朝刊)
鎌田慧氏の『狭山事件』では「佐野屋は、看板こそ掲げていないが、県道に沿った二階建てで、酒、たばこ、雑貨などを商って
いる店である」という記述があり、なんとなく地元民以外にはわからない地味な店という印象を与えます。しかし、写真を見る
限り、アイスクリームのノボリまで立てていてちゃんと商売している酒屋さんだったようです。
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佐野屋の反対側
(サンケイ新聞昭和38年5月4日付朝刊)
右の方にある×印が次姉が立っていたところ。
犯人が隠れていたという茶畑の畝の高さは相当なもので、もし投光器があったとしてもこれだけ背の高い茶畑の
中を逃げられるとそう簡単には捕まらなかったかなあ、という気もします。だからと言って投光器を持って行かなかった刑札の失態が
チャラになるわけでもありませんが。
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死体発見現場
(毎日新聞昭和38年5月4日付夕刊)
ここも、右側の麦畑も左側の茶畑も捜査員の胸くらいまで高さがあり、もし埋没作業中に近くの道路を通った人が
いたとしても、そんなに簡単には見えない状況だったことがわかります。
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死体発見現場の航空写真
(『知っていますか?狭山事件一問一答』解放出版社)
説明は下に。
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死体発見現場の遠景
(『冤罪・狭山事件』現代書館)
上の写真と見比べると、上の写真の一番下の方に写っている野次馬が集まっているところは畑の中のあぜ道で
あることがわかります。なお、手前の大きな道(丸数字の9番と12番の間を走っている道)は県道入間川入曽線で、
右の方に行くとS精密のところでやげん坂と交差します。
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